ロックンロールで一夜漬け

ロックンロールで一夜漬け

音楽に踏み込む探検日記

ドレスコーズ 「どろぼう」考察

こんばんは。

 

今月半ばに、ドレスコーズの映像作品がまた出ましたね。"dresscodes plays the dresscodes"どろぼう、僕はグラン・ブーケ盤を買いました。1番装丁が凝ってるやつですね。

今回はライブでありながら、演劇やミュージカルの要素も取り入れたステージだったということで、また昨年の平凡とは違った意味でエキセントリックな仕上がりになっています。

僕はこの作品、一度観てすごく惹きつけられ、二度観て鳥肌が立ちました。

ここでは二度目に観た際に気がついたことの話をさせて下さい。個人の妄想で合ってるかどうか分からないのですが、なんとなくどこかに書かずにはいられない心境なのです。

(ネタバレを多分に含むので、気にされる方はご注意ください。)

 

いつかの付録ラジオかインタビューだったと思います、この作品について志磨さんが「画面のアスペクト比が変わる瞬間に注目を」という風におっしゃっていました。

アスペクト比が変わる、というのは映像の上下の黒い幕がなくなる瞬間のことですね。

この点に注目して見直すと、とんでもない大仕掛けがあった事に気付かされたのです。

 

黒い幕がなくなる瞬間。

それはマックがメリー・ルウに別れを告げ、「あんはっぴいえんど」が始まる瞬間でした。

そしてこの黒い幕、間を置いて再び現れます。それが、「欲望」のラスト、マックが銃弾に倒れるその瞬間。そして本編ラストの「ダンデライオン」が歌い上げられるまで、この幕は現れたままです。 

この黒い幕。

これは、演劇でいうところの「第4の壁」を表したものなのではないでしょうか。

「第4の壁」とは、観客とステージの間の壁、つまりフィクションとノンフィクションの壁のことでした。

この壁をあえて打ち破り「この劇を観ているお前はどう考える⁉︎お前は何者なんだ⁉︎」と問いかけることこそが、ブレヒトの大きな発明の一つである…の、だそうですね。人聞きですが(出典:山田玲司ヤングサンデー)。

今回の黒い幕の仕組みは、そのブレヒトの発明を、衝撃を再現しようとしたものなのではないでしょうか。

「あん・はっぴいえんど」の歌の中では、志磨さんの動きとカメラワークにそれまでとは大きな違いが見てとれます。

まずステージ上の動きに関してですが、この曲から明らかに「観客を意識した動き」になっています。それまでは観客をまるで無視していたのが、「あん・はっぴいえんど」に入った途端に観客に視線を送り、観客席から飛んできたバラも受け取るようになります。

「バラを受け取る」という行為が特にミソで、これはつまりステージと観客席との間に垣根がなくなったことを意味します。

また、カメラワークも大きく変わります。というのも、この曲から明らかに観客をしっかりと映すようになります。それまでは観客の存在も忘れてしまうくらいにステージの上ばかりが映っていたのに、観客の顔までしっかりと観てとれるようになるのです。

(この「途中から観客の姿を映す」という仕掛けは、トーキング・ヘッズの「ストップ・メイキング・センス」にもあったものですね)

この瞬間から、いわば「ステージ上のロックスターと観客」という関係が観てとれるようになるわけです。この関係の中には、僕らはみんな同じなんだ、ここにいる人達はみな一緒なんだ、というロックショーお決まりの図式が成り立ちます。

それを「あん・はっぴいえんど」「スーパー、スーパー、サッド」「欲望」という、ファンからも人気のある曲で十二分にアピールした上で、


ステージ上のロックスターを殺す。


殺した瞬間から、黒い幕がまた復活します。

この瞬間から、再びステージ上は隔絶されたフィクションの世界となるわけです。

この表現の何がヤバいかというと、つまり第4の壁を一度取っ払った上で、さらにロックの力でステージと観客を1つにして、その上で突然それをぶっちぎって一瞬のうちに再び分厚い壁を作り出してしまう…ということで。

極端な話、「ステージ上のロックスターを殺す」というのは、観客を皆殺しにするのと同じことなわけです。ありえないんですね。

だからこそ、これはお芝居なんですよ、ということが嫌という程突然強調されるわけです。

それによって、自分が殺されたような衝撃とともに、より第4の壁の存在がエゲツなく提示されると…。

ダンデライオン」を歌うステージ上の男、いや女の姿は、最早ずっと遠い世界の住人のように思えます。その人はついさっきまで、皆と共にあったロックスターであったのに。

第4の壁を使い分け、遊び、突きつける。

それを、ロックと演劇という2つの概念を行き来することで、よりエゲツない形で提示する仕組みになっているのではないでしょうか、この映像作品は。

正直、1920年代のドイツの演劇に現代日本の僕達が共感するのは難しいことです。

しかし、ブレヒトが当時の世間に与えた衝撃はこういうものであったのかもしれない、と。この作品からは、そんな想像すら掻き立てられました。

ドレスコーズ やべえ!」だけでなく、

「演劇やべえ!ブレヒトやべえんじゃね!?」


というところまで思わされる、そんな素晴らしい作品でした。

路上のジャズとパンクロックと

ごぶさたしています。

秋ですね。今年こそはサンマ沢山食べたいです。

中上健次の「路上のジャズ」を最近読んでいます。ドレスコーズマガジンで勧められていたからなのですが、読んでみたらすごく面白かったです。

舞台は60年代日本、ジャズ喫茶にたむろする若者の話です。一部は作者の経験に基づいた実話なのだそうで、当時の空気感がリアルに伝わってきます。

ジャズ喫茶にたむろする、なんて書くと小洒落れた大人が思い浮かびますが、ここで描かれているのはむしろ正反対の、クスリ、酒、暴力にまみれた荒れに荒れた生活です。社会から弾かれたアウトローな若者達の聴く音楽として、モダンジャズが登場するわけです。

フーテン暮らしで働きもせず、仲間とつるんでトイレの水に溶いた薬を注射器に吸って打っているような奴らが、コルトレーンは素晴らしいって話をしてるんですね。

カフェ ジャズ で検索したら出てきました。

現代で暮らしているとジャズは「お洒落なもの」というイメージで、小綺麗なカフェなんかでかかってる事が多いと思います。しかしそれは時代の流れでそうなっていっただけであって、本来は人間の生々しさが剥き出しになったヤバい音楽なんだということが分かります。

そこで、これ実はパンクロックに近いものなのではないでしょうか。

この「路上のジャズ」の時代のジャズがどんなものだったかというと、ちょうど既成概念が塗り替えられる過渡期にあったようです。ざっっくり言うと元々40年代ごろにはビッグバンドでスウィングするための「ダンスミュージック」であったのが、60年代になったあたりでフリージャズという形でコードやメロディが複雑化し、より内省的で文学的なものに発展していったそうです(間違っていたらごめんなさい)。つまり元々あったものをぶっ壊そうとして作り出された音楽なんですね。

酒やドラッグや暴力と共にあって、既成概念をぶっ壊す音楽。

それはもうパンクだろ、と。

「白い暴動がパンクロックで、黒い暴動がジャズなんじゃねーの!?ヒャー!!」

とぼくの中のパンクスが申しております。許してやってください。

パンクロックは圧倒的にシンプルで、フリージャズは無限に難解なものなのに、根っこにあるものは実は同じかもしれないというのはなんとも奇異なハナシです。しかし、時代背景を考えてみると、パンクロックは当時どんどん複雑化、技巧化していたハードロック界隈への反抗であって、フリージャズはコードや拍の縛りの強かったハードバップへの反抗であったということで、要はどっちも跳ねっ返り野郎だと考えればなんとなく納得な気もします。

個人的には、パンクロックがアッパーに他者へ強く訴えかけるものであるのに対して、フリージャズはダウナーで自己破壊的な印象です。表現方法が異なるだけで、そこに込められる熱には通じるところがあるのかも知れません。

だとするなら、パンクロックに痺れる感性を持ってれば、ジャズ方面にも心打たれる出会いがあるかもしれないということになります。

いずれにしてもこの本に出会ってジャズへの見方が変わったといいますか、一度じっくり聴き込んでみようと思いました。


今のところアルバートアイラーがぶっ飛んでいて好きです。かっけえ。

クロマニヨンズ「生きる」

おつかれさまです。平成最後の夏から、平成最後の秋を迎えようとしています。


クロマニヨンズの新譜を聴きました。

やー、もう、やっぱり格好良くて。

今までタワレコに電話して予約していたのですが、今回はAmazonで買ってみました。

EP盤って普通の郵便受けに入るんですね、買いやすい。

レコードプレーヤーがポンコツなので、最初めっちゃめちゃ回転数が遅くてヒロトの声が野太くなってしまってびびりました。

それはさておき、

最高。

クロマニヨンズに関しては15の頃から聴いていて10代をかけてひたすら憧れ続けた人達なので、自分にとってはもう良い悪いという以前に血肉の一部と化してる感じがあります。

なんでか分からないけど、ただただ泣いてしまう。

生きるはヒロト曲でしたね。

タメの入れどころがちょっとモダンというか、新しいなーという印象です。

この人達のやってることは、王道のパンクロックと見せかけて実はかなり特異だと個人的には思っています。

歌詞はかなり抽象的ですね。タイトルだけ見てエイトビートのような直球かと思っていたので、意外でした。

三億年か四億年、そんな風に時間の概念も超えたところで冒険をする人の歌のようです。たどり着けない答えはないという、迷いなく進んでいく姿が伺えます。

ヒロトが冒険というときは、もうこれはロックンロールを探し求めてディグることだと勝手に思っています。60年代のどこかの国のバンドの曲が突き刺さる事があるように、その冒険には時間など関係ないわけです。

そういったスケールの大きな曖昧な話の中で、フッと差し込まれてる2番の歌詞がまた良いですね。ヒロトのように好きなものがハッキリとあって、それを全力で楽しんできた人が、「好きなものが見つかるまで空っぽでいい」という歌を歌ってくれるのはなんというか救いです。


今回の曲は「ロックンロールと、好きなものとどう関わっていくか?」ということがテーマにあるように感じられます。それに「生きる」というタイトルが付いているというのがもう、ああもう。

カップリング曲は、、またまたボ・ディドリービートですね。好きだなあと。このビート、ジャングルビートとも言うくらいで、クロマニヨンズの雰囲気に合ってるなあと思います。

生産終了とか便利とか、「こんなにはいらない」といったこととか、ちょいちょいマーシーは資本主義の崩壊を思わせるテーマを挟んできますね。資本主義の崩壊なんていうと大袈裟ですが、要は「沢山色んなものが作られて、沢山色んな物を買って、どんどん便利になって、でもそういうのって疲れるし言うほど幸せじゃないんじゃないかな…」という。

かなりシンプルにはなってきましたが、情報時代の野蛮人あたりの時代から、実はテーマは一貫しているのかもしれません。

ボ・ディドリービートって、ライブで聴くと横揺れですごく踊れる曲に化けることが多いので、これは生で聴きたいところです。

 

去年はライブに一回も行けなかったので、今年は行きたいです。最近なんだかチケットの倍率が上がってるような…。

コンテンツ過剰時代とギタアルアレイ「四畳半の冒険」

こんにちは。

真夏のピークが去ったのでしょうか。

この度、僕が今年から始めた架空のロックバンド、ギタアルアレイの新曲をアップしました。

実は4月から毎月1曲のペースで出し続けてはいるのですが、今回出したこの曲こそ、このバンドの核にあたる曲です。大事。

誰も聴いてねーけど。

というのも、「俺はこんな風にロックカルチャーを楽しんでいってやるぜ!」という意思表示にあたる曲なのです。


昨今は情報過多の時代、コンテンツ過剰の時代と言われます。

IT革命、インターネットの普及とともに、映画や小説、漫画、そして音楽がいつでもどこでも楽しめるようになりました。

音楽に関していえば、ここ数年では特に音楽聴き放題サービスというものが始まり、月1000円そこらで数千万曲がいつでもいくらでも聴けるようになりました。

恐らくちょっとでも音楽好きの家の子供なら、お父さんやお母さんが登録した聴き放題サービスによって、音楽は「いくらでも聴けて当たり前」なものに、すでになっているのでしょう。

月のお小遣いをはたいてようやくアルバムを1枚買って、それを大事に大事に何度も聴くという時代はもう遠い過去のものになりました。


素晴らしい事だと思います。

とってもいい時代になったと思います。


でも、いかんせん、何をどこから聴いていいのか分からない。コンテンツが多過ぎる。

これが、新しい世代特有の悩みだと思います。


たとえば今の50~60代、ロックミュージックの発展とともに育ってきた世代は、ビートルズがいて、ハードロックが出てきて、プログレが出てきて、それがパンクでぶっ壊れて…、という盛衰の歴史を体で経験しています。

だからこそ、思い出とともに音楽を一本の文脈として感じ取ることができる。

のだと、思います。多分。僕は90年代の生まれなので…。

しかしながら今は、その文脈がとても拾いづらい。ロックカルチャーも随分と成熟し、安直に「ロック 名盤」で検索したものを聴こうとしても、あるいは雑誌の特集を調べてみても、もう何百枚という量になってしまう。

「ロック好きならこれを聴け!!」なんてことが言えないくらいに、もう既にロックミュージックは滅茶苦茶に多様化し、膨大なコンテンツになってしまっている。

しかも幸か不幸か今は、その全てにその場で一瞬でアクセスできてしまう。

部屋がレコードだらけの音楽通でなくても、昨日ロックに出会った普通の中学生でも。

それこそ砂漠の中で砂金を探すようなものです。

そういった状況で考えたいのは、「じゃあ、ぼくはどんな風にロックンロールと向き合って行ったらいいんだ?」という事です。

 

そこで悩み抜いて考えたのが、

「ロックンロールは宇宙だ」

という捉え方です。


マジです。


要は、人間ひとりが認識しきれる情報量をとうに超えた概念という意味で、これは宇宙と呼んでいいんじゃないかと。

そしてストリーミング配信の普及で、僕らはその宇宙を好き放題飛び回ることができるようになった。

それなら、やるべきことは宇宙旅行でしょう。

一つ一つのバンド、あるいは一枚一枚のアルバムが惑星のようなものであって、それぞれに広大な世界があり、歴史があり、エピソードがある。

現代において音楽を聴くとは、そんな星達を駆け回るようなロマンのある行いなのではないかと。

好きな音楽を探すなんていうのは銀河の中で好きな星一つを探すような途方もないことではあるけども、それ自体とてもロマンチックで素敵な事じゃないか、と。

そう考えて、時間をかけて楽しんでいったらよいのではないでしょうか。

 

そして願わくば、自分自身もそのような星の1つであれるように。


ギタアルアレイはそんなバンドです。

聴いてもらえるだけで幸いです。よろしくお願い致します。

OasisとNGHFBのDon’t Look Back In Anger

お疲れさまです。

梅雨が一瞬で過ぎていきました。夏ですね。


今回は、オアシスの代表曲「Don’t Look Back In Anger」について見てみましょう。みさせてください。

この曲はオアシスの代表曲であると同時にノエルの代表曲でもあり、オアシスが解散した現在でもノエルのバンド・Noel Gallagher’s High Flying Birdsでも演奏されています。

そのため今でもライブで大合唱できるオアシスソングの一つなのですが、オアシス時代とは違うアレンジで演奏されることも多々あります。


ここではその各バンドでの違いを、改めて比べてみたいと思います。


まず、「オアシス版」のDon’t Look Back In Angerです。こちらは正にロックアンセムというアレンジで、ガンと歪んだエレキギターの分厚い音をバックに叫ぶような歌い方で歌われています。メロディがとても綺麗なのに音がヘヴィで、これぞオアシス!という感じです。

また、リアムが舞台袖でタンバリンを持って客を見下しているというのも一つポイントです。

昔オアシス好きの友人が「オアシスは新曲までは作らなくてもいいから、再結成してドンルクやってさえくれれば最高」というような事を言っていました。その時は「いや、ドンルクはリアム何もしてないじゃん…」と思ったのですが、「リアムがステージにいて、何もせず観衆を眺めている」という状況がこの曲の良さを引き立てている…のかも、しれません。 

あと演奏面で細かい事を言えば、オアシス版ではノエル自身がギターソロを弾くためカポ無しでのバッキングになってますね。


こちらが最近多いパターンで、アコースティックなアレンジのものです。

歌い方もよりソフトで、ノエルはバッキングに徹しており、そこにセミアコクリーントーンでそっと乗っかる感じです。

ノエルのアコギはカポ4で、これはGの握り方をするとCになる位置です。ノエルはGのコードの押さえ方にちょっと特徴がありまして、Wonderwall、Live foreverといった他のオアシス曲でもこの少し変わったGがふんだんに使われています。そのため、異なるアレンジとはいえむしろコードの響きはこちらの方がよりノエルの曲らしいような感触さえあります。

元々のバージョンの方がスタジアムロック然としていて、フェスなどで聴くには気持ちいいかもしれないですね。一方でアコースティックの方も、元のメロディの素晴らしさがより際立つアレンジで素敵です。

今年はサマソニで観ることができるので、非常に楽しみです。どっちのアレンジで来るにしてもそれこそこの曲を大合唱したいものです。


はい。


それはそうと、


この間、僕がやっている(自称)バンド、ギタアルアレイでこのOasisDon’t Look Back In Angerのコピーに挑戦しました。

ライブ音源やアルバム音源を参考にしつつ、ギターはもちろん、タンバリンやストリングスまで聴こえる限り取り込んでみました。

すでに何百回も聴いてる曲ですが、やっぱり自分でコピーしてみて初めて発見できることもあるもので面白かったです。


よかったらきいてみてください。

「The 50kaitenz」を聴いた

 

こんばんは。

 

最近どうも生活が…っていうか人生がてんやわんやで、更新スピードが落ちてきました。

それでもどうにか、ギターを弾いて新譜を漁って生きております。

 

今回は、ザ50回転ズの新作についてです。
ほんともう、大好きなバンドの1つです。

もしかしたら一番ライブで観た回数の多いバンドかもしれないくらいです。

スリーピースバンドで、モッズスーツにおかっぱ頭というコッテコテの格好でラモーンズのような高速ロックンロールをやりよる人達です。

曲はロックンロールへの深~いリスペクトが感じられるものばかりで、チャックベリー、ラモーンズAC/DC、ハードロックから演歌まで守備範囲は幅広く、ロックカルチャーの博物館のようなバンドですね。

今回は、本人達曰く9年ぶりのフルアルバムとして今年リリースされた、「ザ50回転ズ」について書いてみたいと思います。

9年ぶりといってもミニアルバムやシングルはほぼ毎年出していたので、久々の楽曲制作ってわけではなかったりします。しかし、フルアルバム単位で50回転ズの新曲を聴くのは確かに新鮮です。今作もまた、ど真ん中のパンクロックからカントリー、モータウン、ジャズ、演歌と古今東西詰め合わせといった内容で素晴らしいですね。かっけぇ。

バンドの名前を冠したアルバムというだけあり、引き出しを全部開けて詰め込んだ作品なのかなと思います。「俺たち、こんなロックやってるぜ!!」というメッセージがビシバシ伝わってきます。それを結成10年でやるのがスゴイ。

そういった意味で1stと比べたくなりますが、より音が丸っこくキラキラして聴きやすくなり、でもバーンとくる衝動は変わらず、熟成度が増したような印象です。


順番に見ていきましょう。

 

・Vinyl Change The World

一曲目に一番のキラーチューンを持ってくるあたり、流石です。これは以前EPでも発売されていて、結果的にリードシングルにあたる曲ですね。

レコードは世界を変えるぜ!!と。

この人達が言うと説得力が違います。

EPの音源からまた再録されていて、また少し違った味わいになっています。

EPの方はよりビンテージっぽい音作りでしたが、こちらはライブをそのまま録音した(実際そういう録り方のようですが)ような感じで、より熱量があります。

ロックンロールを聴けば時空を超えてぶっ飛ばされて、その間は悩んでることも何も怖いもの無しになるんだっていう、そういうロマンは醍醐味ですね。

 

ハンバーガヒル

ウィルコ・ジョンソンの影響の色濃いカッティングリフがいい味出してますね。

サビはこれ、かなりそのまんまマーシーの情報時代の野蛮人では…と思うのですが、それもよしと。

裏メロの単音ギターもマーシーの曲をとても彷彿とさせます。やっぱりブルーハーツがルーツなだけあります。

また2番で絡んでくるアナログシンセが、今までの50回転ズにはない仕掛けですね。

今回のアルバムは全体的にキラキラ感がすごくありますが、シンセの使用も大きな要因だと思います。


・星になった二人

てってってー、てってっててー、と。

これはもうモータウンのお決まりフレーズですね。斉藤和義の「歩いて帰ろう」と同郷の曲でしょう。

途中ボ・ディドリーのジャングルビートに切り替わるあたりがまた美味しいところです。

50回転ズでモータウンというと「放課後のロックンロール」が思い浮かびますが、今回のこの曲はよりオールディーズっぽく、甘くポップな音作りになっています。

コーラスも綺麗ですね。

 


・新世界ブルース

演歌は日本のブルースだ!!

という本人達の言葉通り、コッテコテの演歌です。地名が入って男と女の情感がテーマ、と。「演歌風ロック」ではなく、くどいくらいど真ん中の演歌なところが50回転ズらしいと思います。ギターソロはファズかませたような潰れた歪みでまた渋いです。

いつの新世界だ。

 


・クレイジー・ジジイ

5曲目にしてボギーの趣味が発動という感じで、ハードロックです。

ここ二曲が濃ゆすぎて胃もたれしそうです。最高。AC/DCのようなロックンロールをヘヴィにした曲調かと思いきや、途中からテンポアップして途端にDeep Purpleばりの70年代ハードロックやで~~~ってな感じにシフトするのが面白いところです。

心なしかドラムが楽しそうです。

ギターとベースのユニゾン部分など、ハードロックとしては王道でも50回転ズでは非常にレアですね。

後ろで鳴ってるアナログシンセもなんともDeep Purpleです。


元々色んな曲をやるバンドでしたが、今回さらに個々の芸に磨きがかかってるような気がします。

 

 

・ちんぴら街道

三味線ロックです。

そんなことまでやるのか…。

ちんぴら3匹お邪魔します、というあたり実は「レッツゴー三匹」と同じテーマですね。

流れ者の独り言、というような曲ですが、この人達の暮らしそのままだと思うとロマンでしかないですね。

三味線だけれどもBメロのフレーズがどう聞いてもDr.FeelgoodのRoxetteなのがウケます。三味線とパブロック組み合わせようとするのはこの人達くらいなものでしょう。

 

・ホテルカスパ

これは一変して、ジャズやロカビリーに寄った曲ですね。ウッドベースが渋いです。

歌詞も含めて世界観が一気に都会的になり、それこそ世界中を飛び回っているような目まぐるしさですね。

この曲は特にギターソロが良くて、リバーブきいたローファイな感じがたまらんです。


デヴィッド・ボウイをきどって

ボウイというからグラムロックかな、と思ったらそんなことはなく、ここにきて真っ直ぐなパンクロックでした。ドリー曲ですね。

ドリーがボーカルの曲は歌詞がロマンチックで、10代の青さがより前面に出てるのが印象的です。星屑の歌、というのはジギースターダストのことでしょうね。

シンプルながら、歯切れのいいギターリフもいい感じです。


・11時55分

これはフォーキーな曲ですね。Ticket to rideなんかも思い出されるような、ビートルズ中期のちょっとフォークに傾倒してる時期の匂いがします。

そしてやはり、メロディがやはりマーシーっぽいですね。夏とか銃声とかあの子にキスとか、歌詞にもブルーハーツ時代のマーシーの叙情性を感じます。

 

・純情学園一年生

タイトルからしてティーンエイジャーの青春パンクなんだろうなーと思って、まさにその通りでした。

今回アナログシンセがほんとに多用されていて、さも50回転ズの定番かのごとく組み込まれてますね。

シンセが入ったぶんギターがシンプルにまとめられてる印象で、ライブ映えしそうです。

 

・あの日の空から

ちょっとオルタナっぽい入りから、また真っ直ぐなパンクロックになだれ込む構成です。

「なりたくなかった大人にお前もなったのかい?」というあたりは、なんとなく清志郎っぽい感じでもあります。

A面で古今東西さまざまなジャンルを取り入れている一方で、B面にはストレートな青春パンクが多く組み込まれてますね。

 

・行こうマチルダ

ラスト曲で、ドタバタで陽気なカントリーですね。最後に明るく終わるあたりが50回転ズらしいです。このヅッツク、ヅッツク、というエレキギターのバッキングは実はすごい難しいと思うんですが、サラッとやりきってますね。

マンドリンもいい味出してます。

 

はい。

改めてこうして見てみると、初期の頃のパワフルでごった煮の雰囲気はそのままで、より色彩豊かになったような感じがしますね。

硬派なギターロックをやっていたバンドがシンセや色々な楽器を入れるようになると、華やかな反面ちょっと寂しかったりもします。でも50回転ズは不思議とそういう感じが全然しないですね。やっぱり、音楽的な基盤がすごくしっかりした人達だからこそだと思います。

 


ツアー行けるかわからないんですが、どういうアレンジでくるかもまた楽しみです。

 


アナログ盤欲しいけど、限定しかないからな…。

 

 

 

 

 

 

「上を向いて歩こう」のどのへんがロックなのか


おつかれさまです。

新しい環境に移ったかたも、ぼちぼち慣れてくる時期でしょうか。

今回は「上を向いて歩こう」について考えてみたいと思います。

言わずもがな日本のポップスのスタンダード曲であり、また当時ビルボード首位を獲得するという、未だにあり得ないレベルの大ヒットを記録した曲でもあります。

有名曲だけにカバーも多いですが、中でもRCサクセションのバージョンが印象的です。

単純なコピーではなく清志郎の味がよく出たカバーになっていまして、これがまたヒジョーに良い感じです。ヒロトと一緒に歌ってる動画もありました。

で、取り上げたいのは清志郎がこの曲のことを「日本の有名なロックンロール」と言っていたことです。

有名というのは分かります。

なにしろビルボード1位ですから、世界で一番有名な日本語曲と言っても差し支えないくらいでしょう。まして清志郎の世代ならリアルタイムですし、なおさらです。

しかしロックンロールかというと、シャウトがあるわけでもなく、リズムが強調された「ドカドカうるさい」曲でもありません。

それでもこれをロックンロールと呼んだのは、どういう部分を指してのことだったのでしょうか。

サクセションのカバーを見てみましょう。

はい。少なくとも形式は、ブラスにギターにオルガンに、ガッツリとロックンロール仕様にリニューアルされていますね。

ただ、例えば雨上がりの夜空にをメタルカバーしたところで雨上がりの夜空がメタルの曲にはならないように、やっぱりマインド的な部分で「上を向いて歩こう」にロックンロールみを感じられるからこそ清志郎もロックンロール仕様でのカバーをやったのだと思います。

では、この曲のどういう所がロックンロールなのか?という話になってきます。


個人的な考えですが、僕はこれ、曲の根っこにブルースがあるからじゃないかと思います。

ブルースの特色のひとつとして、「メジャーコードの明るいコード進行に、辛いこと、悲しいことをテーマにした歌詞を乗せる」ということが挙げられます。ここでいう辛いこと悲しいことというのは、仕事が大変だとかフラれただとか非常に生活感のある現実的な事柄が多いですね。


平たく言えば「辛い日々を楽しく歌う」というマインドなわけです。 

これを踏まえて上を向いて歩こうの歌詞を見てみると、まず曲名にあるように「上を向いて歩く」のは、涙がこぼれないようにするため。この歌の主人公は、泣きながら歩く独りぼっちの人です。それでもって、幸せは空の上に、手の届かないところにあると。そして悲しみは月の影に、星の影に隠れてしまう。

顔を上げて胸を張って歩こう、なんて明るい歌では全くないのですね。

しかし、坂本九の原曲はシャッフルの跳ねるリズムでいかにも楽しそうに歌っています。

こんなに悲しい曲なのに、賑やかな居酒屋でかかっていても全然おかしくないような曲調です。これこそ「悲しいことを楽しく歌う」、ブルースの精神なのではないでしょうか。

そして、ブルースが加速してデッカい音で鳴らされれば、それはロックンロールになっていくというわけでして…。

上を向いて歩こうがロックだというのは、おそらくこういう事なのかなと思います。

あるいはもっと捻くれた見方をすれば、ロックンロールを日本で広めたいがために、海外で流行った日本の曲をロックンロールということにしてしまって「日本のロックンロールは世界でも有名なんだぜ!どうだいスゲーだろ!!」と見得を切った・・・という線もありえるかと思います。

清志郎はそういうしたたかさもある人だと思うので、営業戦略的な面もあったかもですね。

 

いずれにしても良い曲が歌い継がれるのは喜ばしいことではないでしょうか。