ロックンロールで一夜漬け

ロックンロールで一夜漬け

音楽に踏み込む探検日記。月曜更新

エルヴィス・プレスリー没後40年


こんばんは。
クロマニヨンズのツアー、プレオーダー外れました・・・。
何だろう、最近ほんと当たりにくくなりましたね。二次で当たることを祈ります。

先日テレビを見ていたら、今年はエルヴィス・プレスリー没後40周年だというニュースが流れてきました。
そうだったんですねー。

ロックンロール創成期、50年代のロックスターの一人ということで、チャックベリーと同世代ですね。チャックベリーが90歳で亡くなったことを踏まえるととても早逝だったように感じられます。
もちろんそれでも、バディ・ホリーエディ・コクランよりは随分長生きですけれど…。
ていうか、どちらかというとチャック・ベリーとリトル・リチャードがすごいですよね。

亡くなってしまったミュージシャンに関しては当然新作発表もライブツアーもないわけでして、だからこそこういう記念事をキッカケにして聴き直してみるというのが大切です。

さて。

まずエルヴィスのイメージは、大きく分けて2つに分けられると思います。力強くワイルドなロックンローラーというイメージと、甘い歌声のバラード歌手というイメージです。

まずは前者のほう、白人にしてブラックミュージックを基調としたロックンロールシンガーであるという面について見てみます。
ボリューム上げていきましょう。


はい。出世曲のハートブレイク・ホテル、これはブルースですね。サビがなく、16小節をひたすら繰り返す進行です。
エルヴィスに限らず、50年代〜60年代のロックを分かるには当時の時代背景を考える必要があるように思います。
今でこそロックは、白人でも黄色人種でも誰がやっていても違和感のない音楽です。しかしこの1950年代当時は、ブルースやロックンロールというのは完全に黒人が楽しむためのものであり、基本的に白人の聴く音楽ではなかった時代です。その中で、ハンサムな白人の出で立ちでありながら黒人のようなシャウトと腰振りダンスを武器としたエルヴィスは、非常にセンセーショナルな存在だったという事のようです。
また、黒人そのものだったかというとそういう訳でもなく、白人文化のカントリーのフィーリングもちゃんと混じっていて、だからこそ幅広い層に受け入れられたという話もあります。

そのあたりの所を踏まえて見ると、エルヴィスの凄さがだんだん分かってくるように思います。

当時の世の大人達の評価としては「あんなに叫び散らして、しかもクネクネといやらしく腰を振る奴が出てきた、けしからん!」という事だったようで、そこが逆に大人を嫌う若者達にウケたのだそうですね。
Hound Dogや監獄ロックあたりは、今聴いてもパワフルかつセクシーです。

ちなみに問題の腰振りがこちらになります。そんなに下品には見えないのですが、これでアウトだったというと当時はすごくテレビが厳しかったんですね…。
また、雄々しく男性的な面だけでないのがミソです。たとえばTeddy Bearなんていう曲もあって、これは「彼女のクマちゃんになりたい!」みたいな歌詞です。こんなちょっとカワイイ素振りも初期から見せています。意外とナイーブだったり、カワイイ路線で攻めてみたりもしてるんですね。
ヤンキーは実はフワフワしたものが好きだ、とはよくいいます。こういう一面があるからこそ、かえってやんちゃなイメージが際立つというものではないでしょうか。

続いて後者の甘い歌声の方です。

軍役後の60年代に本格的にこの路線になったという話ですが、50年代の曲にも甘〜いラブソングがあります。
Love Me Tenderなんか、監獄ロックとは別人かと思うほど繊細な歌い方ですね。激しい曲での腰振りとはまた違った意味で色気があります。
ロックンロールというと、どうしてもバーン!ドカーン!!みたいなものを想像してしまいますが、 実はこういう元祖といわれるような人でも色々な顔を持っていたような、懐の深いジャンルなんだなと改めて思わされます。考えてみればストーンズRuby Tuesdayがヒットしていたりするので、良いバラードを持っているというのはロックスターをスターたらしめる一要素なのかもしれません。

いずれにしてもエルヴィスに関しては、ガラの悪い不良というイメージはあんまりなく、生き生きとした肉体性と色気、そういうエネルギーに溢れたミュージシャンという印象です。

それは悪とか反体制じゃないからロックっぽくないということではなくて、本来ロックンロールはそういう身体性こそが魅力なのだという事なんだと思います。

 

ゆがんだ唇エルビス、格好いいです。

ドレスコーズ「国家」が届いた

 

こんばんは。
8月も終わりです。朝夜がちょっと秋めいてきましたね。

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先日、ドレスコーズの「国家」が届きました。これはドレスコーズの最新アルバム「平凡」の発表にあわせて行われたmemeツアーのファイナル、新木場Studio Coastでのライブの様子を収めたブルーレイになります。

 

この「平凡」というアルバムについては以前にも書きましたが、非常に衝撃的なアルバムでした。これは所謂コンセプトアルバムで、「個性が否定され、普通であること、平凡であることこそが美徳とされるようになった近未来社会で発表された作品」という形をとっています。そのコンセプトもさながら、これまでのドレスコーズと全く異なりファンクを主軸にした独特な曲から構成されており、思想的にも音楽的にも異色の作品に仕上がっています。
要は、今までずっと長い髪で派手な衣装で古き良きロックンロールをやり続けていた人が、突然「個性なんていらない!平凡最高!!」と灰色のスーツを身にまとってファンクをやり始めたということで…。
最初は「ど…どうした!?」という感じでしたが、実はこれは現代社会への違和感と新たな時代の到来の予感から、ロックカルチャーひいてはサブカルチャー全体への問題提起のために作り出された、非常に示唆に富んだアルバムであるということが徐々に明らかにされました。

今回の「国家」はその平凡さんのライブビデオと、さらにアルバムの詳細な解説やインタビューなども収録されており、どういった思想のもとにこのアルバムが制作されたかということがよく分かる内容になっています。
ちなみに限定生産なのでもう手に入りません。

こんなに作り込まれてるのに、もったいない・・・。

よく分かるとはいいましたがそれは詳しく書いてあるという意味で、やはり内容自体はかなり難解です。なにしろレコーディングの話から音楽産業の変遷、ひいては資本主義や構造主義というところにまで話が及んでくるので、完全に理解しきるには勉強が必要そうでした。
ただ全体的な印象として、恐らくこれは「アーティストへの問題提起」なんだろうなと思います。これから近い未来に社会が大きく変わっていく中で、アーティストはどのような表現をしていくべきか?また既存のカルチャーをどんな風に受け継いでいけばいいのか?
ざっくりした言い方をしてしまえば、そういう問いのように思います。
ただカルチャーを娯楽として楽しむだけの立場で抱える悩みではなさそうです。
それはつまり、この平凡を土台にしてまた様々な作品が出てくることが期待されるってことで、これは今後また形を変えて出会う思想なのかもしれません。

 

音楽的な部分に関してですが、まず何より、シンプルに滅茶苦茶上手いです。
この新木場のライブは僕は観に行ったので、一度観たものを改めて観直すような格好になります。しかし、やっぱり落ち着いて聴いてみても非常に演奏はハイレベルです。リズム体がめっちゃ強い。規律/訓練の暴れっぷりとか、towaieの静寂な中でのグルーヴ感とか最高です。
そして志磨さんの「神経ダンス」、てんかんのような動きも斬新に映ります。これはロックンロールでよくある煽るための動きではないですね。ロックスターとは完全に別の身体を手に入れてきています。
それもあってか、激しいパフォーマンスで熱の入った演奏でありながら、どこか虚無感が漂うステージという印象になっています。これは改めて映像で観ても新しい感覚でした。
あげるとキリがないですが非常に見応えのある内容で、ほんと予約してでも押さえておいてよかったなあと思いました。

何よりこの「平凡」すべてが、20世紀のカルチャーへの決別でありながらそのカルチャーへの愛に満ち満ちていて、そこにすごく胸を打たれます。もうここにはいられないし、過去のものにしなくてはならない対象だけれども、すごく愛おしい。そういう切なさみたいなものが根っこにあるのが何とも味わい深いです。
そして、いわゆる古き良き文化が好きで仕方がない人達が、それでもこれから先の時代を見据えて、全く違う未知の方向に突き進んでいくというその様はすごく格好いいと思います。
というのも、たとえば僕なんかともすれば「60年代ロック最高!昔のロック最高!今の流行りは間違ってる!!」というイデオロギーに逃げ込んでしまいがちなところがどうしてもあります。しかし、 そんな懐古的な姿勢でいるよりも未来に向かう方がずっとカッコ良いじゃないかと。


「昔は良かった」と逃げ込まずに、今の時代を見てちゃんと行動に出ろ、悩め、と。


そう言われているような気がします。それは音楽に限らず、資本主義社会の先を生きなければならない世代全体にも通じることかもしれません。
これから折に触れて見返す作品になりそうです。

大事にとっておきたいと思います。


あとは、もう、一番の元ネタであるところのTalking Headsストップ・メイキング・センスも、近いうちに観なきゃいけないですね…。

他にも色んな本、映画、元になったアートのことが「国家」の中で沢山ネタバレされていたので、ここからでも相当掘ることができそうです。
忙しくなります。

サンボマスターが聴こえる、考える

 

こんばんは。

なんだか涼しくなりました。

赤いキセツだったのが、急に若者のすべてになってしまった感じです。

 

今回はサンボマスターについて考えてみましょう。好きなバンド再考察シリーズです。

 
はい。
サンボマスター、時代背景からいうとゼロ年代、青春パンクの終わり頃に出てきたバンドという位置づけになるかと思います。
むさ苦しい男3人(褒め言葉です)が激しいビートを土台に強烈ポジティブな歌詞を叫び倒す、そんなバンドです。有名曲はパンキッシュなものが多いですが、アルバムを通して聴くとロックンロールからソウルから歌謡まで実に様々な事をやっている人達だったりもします。
デビューから15年近く経ってもエネルギー量は増すばかりで、フェスでも大きなステージに立っているのをよく見ます。今度のツアーで武道館やるんですねー。
何度かライブハウスやフェスで見た事がありますが、何万人という数の人が笑顔でモッシュしてめっちゃくちゃになる感じは圧巻ですね。すごく幸せな空間を作ってくれます。
このバンドについて、


 

こちらです。サンボマスター嫌いだって言ってますねー。

先日ブルーハーツの記事でもあげさせてもらいましたが、山田玲司ヤングサンデーゼロ年代邦楽についての回です。この中で、サンボマスターは嫌いだー!!という話が出てくるわけです。
なぜサンボマスターが嫌いかというと、サンボマスターのロックに対する姿勢が気に入らないというんですね。
批判の切り口はこうです。
いわく、「駄目な僕を許してくれ」っていうその感じがロックンロールじゃない、と。
もっと格好つけるのがロックンロールだろと。
結果として格好悪くても、徹底的にカッコつけないといかんやろ、という意見のようです。

これに対して思うに、
サンボマスターは、別に「駄目な僕を許してくれ!受け入れてくれ!!」みたいな主張ではないと思うんですが・・・。



確かに、サンボマスターは応援ソングが多いです。あきらめるな頑張れ、キミは凄いやつなんだ、悲しみなんか何も生まないぞと。
このイメージが一番大きいと思います。



しかし、じゃあサンボマスターに自分達に自信がなさそうなイメージがあるかっていうと、それはまた別の話じゃないかなーと思うんですね。個人的にサンボマスターの歌詞には、卑屈さを感じることはあまりないです。俺は駄目だって方向からのアプローチはあんまり多くないような気がします。
むしろ、特に初期は格好つけたオシャレな曲こそ多い印象です。なんでここまで飾りっ気ないルックスでこんなオシャレな曲やってんだと感じるくらいです。
僕がサンボマスターの中で上から5曲に入るくらい好きな曲に、夜汽車でやってきたアイツという曲があります。

 

 

曲がっていうか、このライブの曲の入りがめっちゃ好きなんですけども。
男臭いアツいMCから入って、歌い出しの
「午前8時のため息は、冷えたコーヒーと共にあって…」
この静けさですよ。この、突然イタリア洋画の世界に連れていく感じ、格好いいじゃないですか。そこから段々ボルテージ上がっていく感じとかも最高です。
格好悪い格好良さどころか、むしろオシャレに振り切れています。これがカッコつけ(良い意味で)でなくて何だというのか。
サンボマスター、実はこういった曲がたくさんあります。週末ソウルなんかもいいですね。

 


そもそも代表曲の「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」も、コード進行を追ってみるとやたらとオシャレです。9thコード7thコードが目白押しです。

アニメやドラマのタイアップをとるのは大体「可能性」や「光のロック」のような前向きなメッセージ性の強い曲なので、それがプロのミュージシャンとしてのサンボマスターの主力商品なのでしょう。それはなにも売れるために本当にやりたいことと違う事をやってるというわけではなくて、本当にそういう性格を持ったバンドではあるだと思います。しかし、その一方ですごい大人向けなオシャレな曲もしっかり取り入れてきている一面もあるということです。要するにそれは、格好いいロックバンドの王道の売り方ではないでしょうか。
容姿を逆手にとった卑屈な姿勢で、搦め手を使っているわけでは全くないように思うのです。

じゃあどこに問題があるのかって、強いて言えば最初の売り出し方じゃないかなーと。

 

 

電車男のEDで使われましたよね。
この電車男ってドラマが、まさに「駄目な人が頑張る」話です。オタクで社会に馴染まない駄目な自分だけど、本当は勇気があって、支えてくれる仲間が(ネットに)いて、恋愛だってできたぞ!という話だったと思います。
当時のオタクへの風当たりの強さもあって、このドラマかなりセンセーショナルに感じた覚えがあります。
まあ、まだ小学生でしたけど・・・。

電車男自体はわりと楽しんで観ていた思い出があるのですが、ああいった「駄目な人が頑張る話」にサンボマスターを持ってきたことで、サンボマスター自身もそういうバンドだというイメージになっちゃったんじゃないかなーと、ここに僕は少しモヤモヤがあります。

 

 

このエンディング映像、見ての通り「秋葉原のプラットホームにオタクの群れとサンボマスターが突如現れ、歌う」というものです。
つまり完全にサンボマスターがオタクの一味みたいな扱いになっているんですね。作中に登場するオタク達の象徴として見えるように持ってこられているような感じです。

 


また、この時期ブサンボマスターという、芸人がサンボマスターの真似したバンドもテレビに出ていたように思います。これはもうホントに直球で、イケメンが嫌いだってブサイクが歌うみたいなアレです。俺はブサイクだけど愛してるんだーーー、みたいなアレですね。

こういった形はパブリックイメージとしてすごく分かりやすいとは思うんです。しかし、そうなると夜汽車みたいな曲が埋もれちゃうじゃん、ということがやっぱり悔やまれるわけで…。
そもそも、アルバム収録曲まで探して聴く時点でサンボマスターそこそこ好きなわけで、嫌いな人はそこまでしないと思います。それでテレビで流れてくる範囲のサンボマスターだけを見ていたら、冒頭に挙げたような批判も出てくるよなー…と思ってしまいます。

そして冒頭の動画に戻ると、好きなバンドが曲解されて批判されているのを見るのはもちろん悲しいですが「駄目な奴が、歌う!叫ぶ!それがロックだ!!」という風な解釈が出てくるとなんかモヤるなぁという点には、正直ちょっと同感でもあります。
ブルーハーツの話でも触れましたが、ブルーハーツサンボマスターも格好いいロックンロールをやっているから格好いいのであって、駄目なのにロックンロールをやっているから格好いいわけではないのでは…と思ってしまいます。このへん、言葉にするとややこしいですが。
いや、でもインタビュー見るにサンボマスター本人達はべつに気にしてなさそうだから、それはそれでいいのかな…。捉え方次第でしょうか。
何はともあれ最新アルバムもまた新しい事やっててとても良かったですし、武道館も楽しみです。うん。
行けるかなー。

ブルーハーツが聴こえる、考える

 

こんばんは。

ギャーーーーー!!

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はい。

2週間ほど前、ブルーハーツ(とマーシーソロ)のアルバムのアナログ盤の再販がありました。過去作のアルバムはほとんど全てリリースされています(欲を言えば、ライブ盤も出してほしかった・・・)。流石に全部買うわけにはいかず、悩みに悩んだ結果、特に思い入れの深いこの三枚を手に入れました。

1stの「THE BLUE HEARTS」と後期の名盤「STICK OUT」、そしてマーシーのソロ作品である「夏のぬけがら」の三枚です。

早速聴いてみると、アナログだからなのか音圧が凄い!特にやや音が薄めだったファーストが迫力増していて驚きました。アナログ化といっしょにリマスターもされたのでしょうか?いずれにしろ買った甲斐があったというものです。

LP版の大きいサイズでこのジャケットが見られるのも嬉しいところですね。部屋に飾れます。

そしてSTICK OUT、実はこのアルバムと僕は同い年です。しかもこのアルバム収録の1000のバイオリンという曲、これこそ僕がブルーハーツを聴くきっかけになった曲です。約10年前、15歳の時にこの1000のバイオリンを聴いたことがきっかけで僕はブルーハーツを聴くようになり、やがてストーンズを知りチャックベリーを知りロックンロールを知るきっかけになったというわけです。ということで非常に思い入れのある一枚です。他の曲を見ても「すてごま」「俺は俺の死を死にたい」「月の爆撃機」など、佳曲の多いアルバムだと思います。

夏のぬけがらはブルーハーツのギタリスト、マーシーのソロアルバムです。ブルーハーツとは打って変わってアコースティックでゆったりとした曲の多いアルバムです。マーシーのノスタルジックな一面が前面に出たアルバムですね。個人的にマーシーは出身地が非常に近いこともあってか、歌われている情景が自然に入ってくるので味わいがいがあります。これも好きなアルバムの一つです。
聴き直して改めて、ブルーハーツは、ひいてはヒロトマーシーはやはりすごいなと思いました。
しかしその一方で、聴き続けて10年も経つとまた違った感想も出てくるというものです。
「すげーー!!」っていう最終的な感想自体は同じでも、じゃあ何がすごいのか言葉にしてみると、違った解釈が出てきます。
今回は、そこの所について考えてみたいと思います。
ひょっとしたらもう語り尽くされている事かもしれませんが、そこは若輩者ということでご容赦ください。ロッケンロー!!!

 

さしあたって、まず高校生の頃の自分の考えを思い出しながら整理してみたいと思います。

そもそも最初の最初、聴き始めの15歳の頃、僕はブルーハーツは「『上手くやれなくてもいいんだ!下手でもいいんだ!格好悪くてもいいんだ!!』と言ってくれる人達」だと思っていました。
当時の僕は、テレビで流れるキラッキラの前向きなアイドル曲に対して、ある種の取っ付きづらさやモヤモヤ感を感じていました。つまり「いいこと言ってるけど、この人達はアイドルだしファンも沢山いるよな」ということです。何だかんだ容姿に運に恵まれてるじゃないか、と。笑顔を振りまいて大きな声が出せて、それができるならそもそも悩んだりしてないわ、と思ってしまっていたわけです。
劣等感を引きずる遣る瀬無さが分かるのかと。
(今考えるとアイドルもアイドルで苦労があるに違いなくて、またアイドル曲というのはポップスに精通した音楽大好きな大人達の力の結晶であり、決してないがしろにはできないなと思いますが・・・。とにかく当時の考えです。)

それに対して、ブルーハーツはほんと滅茶苦茶やってますよね。テレビに出てもインタビューにまともに答えなかったり、目ん玉ひん剥いて、わざとかってくらい音程外したりして。
僕はこれを見て、ブルーハーツは「綺麗でいられなくても堂々と生きていていいんだ」という事を示してくれる人達なんだ、と感じたわけです。滅茶苦茶な動きで、荒削りな演奏で、飾らない剥き出しの姿を誇ることをその身をもって体現している人達なんだと、そういう風に見ていました。


彼らの「ダンスナンバー」という曲の歌詞にもあります、「格好悪くたっていいよ、そんな事問題じゃない」。まさにそういう人達なんだ…と。
それは内気で気弱だった当時の僕にとって、大きな光に感じられたものです。
白状すれば、世に出回るアイドルやポップスは安っぽい偽物で、ブルーハーツこそ本物の格好良さを持っているんだと、そんな風にさえ思っていました。

それから10年経ちました。

まだまだ知らないことだらけではありますが、色んなことも経験して、また当時よりはずっと様々な音楽を聴くようになりました。そうなって今改めて、ブルーハーツについてこう思います。

 

いや、違うなと。


ブルーハーツ普通にめっちゃ賢いわ、と。

 

そこの所がはっきり言語化できたのは、この番組を見たのがきっかけです。

 

山田玲司ヤングサンデードレスコーズの志磨遼平をゲストにゼロ年代の音楽について話している回です。この回の主題は「ゼロ年代のあの雰囲気はなんだったんだ?サンボマスターとは何だったんだ?」というようなことで、これはこれで非常に面白そうなテーマではありますが、今は置いておきます。
この中で、ブルーハーツに対してこんな風に言及されています。
いわく、「ブルーハーツはパンクの和訳」「パンクの精神性をアホに分かるまで噛み砕いたもの」だと。

つまり、ブルーハーツの何が凄かったかというと、ロックンロールを誰にでもわかる単純明快な形で打ち出した事だというんですね。ポジティブなメッセージソングを作ったからじゃないと。

当時ブルーハーツの歌が人を励まし、元気づける力になったのはおそらく事実で、そういった面も確かにあったんだと思います。
しかし、ブルーハーツの功績は心を打つメッセージソングを作ったこと自体ではなく、あくまで日本語でパンクロックをやって、より多くの人にパンクの精神性を示してみせたという事の方なんじゃないかというわけです。
あくまでキーはパンクロック、そしてロックンロール。
その事を念頭に置いて、改めてブルーハーツの曲について考えてみます。

ブルーハーツで一番有名なのって、やっぱり今でもリンダリンダなのでしょうか。意外と今日びCMやアニメで耳にするのは、1000のバイオリンの方が多いような気もします。


宮崎あおいのCMとかローリンガールズとか、ありましたね。

実はブルーハーツは曲の幅が広く、特に3rdアルバムなんかはルーツに立ち返ったのかブルースやレゲエや様々な影響が見て取れます。
しかし基本的にはやはり、シンプルなエイトビートとこれまたシンプルなメジャーコードが中心のギターに、日本の童謡のような平易な言葉とメロディが乗っている。これがやっぱりブルーハーツらしさだと思います。

このスタイル、ものっっっすごい賢いと思うんです、今考えると。

まず第一に、歌詞の言葉の分かりやすさです。ブルーハーツ(特に初期)の歌詞は、本当に分かりやすい。日常で使わない語彙はほとんど出てこないですよね。抽象的で哲学的な言葉は少なく、小学生でも分かるくらいの日本語で作られています。また、実は明らかな中傷や汚い言葉が目立たないのもポイントで、聴いていて耳触りが悪くならない。同時にこれは、口ずさみやすい曲だということでもあります。

次にメロディに注目しましょう。例えば情熱の薔薇のような一音が長めにとられたメロディは、日本語の音数によく合います。英語と日本語ってそもそも語音の捉え方が違ったりするので、英語詞のメロディにそのまま日本語を乗せてもアクセントが上手くいかなくて、言葉として伝わりづらかったりしますね。むしろ日本に昔からある童謡や歌謡曲の方が、日本語には合っているはずです。それを分かった上で、メロディはそっちに寄せてきているんじゃないかと思われます。

そして演奏のスタイルですね。
おそらく演奏面でブルーハーツの土台になっているのはラモーンズや初期のクラッシュで、ギターはジャカジャカとコードを弾くパートが大半で、ベースもドラムもあんまり動きませんよね。
そのように後ろの演奏が必要最小限にまとめられているからこそ、より言葉が耳に入りやすくなっているのではないかと思います。
たとえば極端な話、歌のバックでギターが延々とピロピロ早弾きしていたら、そっちが気になって歌の方が頭に入ってこなくなりますね(慣れるとそれもいいんですが…)。

まとめると、ブルーハーツの楽曲ではロック音楽という形態の中で一番多くの人に伝わりやすい要素である「言葉」の部分が、さらに最も伝わりやすいような形のメロディ、演奏に乗せられているということです。
考えるほど、実は万人向けのスタイルだったんじゃないかってわけですね。音楽を聴き慣れていない層でも抵抗なく聴ける。
これら一つ一つの要素に、必ずしも難しいことはないと思います。なにも突飛な音楽理論に基づいているわけでもなければ、難解な語彙や思想も必要としないわけですからね。ひょっとしたら、やろうとさえ思えば誰でもできたのかもしれないです。

しかしブルーハーツの本当に凄い所は、それらを組み合わせてロックンロールにしたら格好いいぞ、ということを発見して実際にやってのけたという、まさにその事実そのものではないでしょうか。

先程まで歌詞や演奏のことを長々書き並べてきましたが、結局こんなのはブルーハーツの存在を前提にした上での後付けの考えです。当時は、まさかパンクロックでそんなやり方があるとは本当に誰も考えなかったんじゃないかと思います。
そしてその発見こそが、一番ブルーハーツの鋭いところなのではないかと。

当時の状況を想像するに、まだ日本には日本語のパンクが浸透していなくて、極端に言えばパンク=セックスピストルズ、という認識の時代だったのではないかと思います。反体制、無政府主義者を標榜し、未来はないと吐き捨て、時には女王陛下さえコケにする。そういう姿勢こそがパンクだ!と。
もちろんラモーンズやレジロスのようにアナーキズムからはやや縁遠いパンクロックもあったにせよ、今ほど海の向こうの情報が多くない事も踏まえると、やはりインパクトからいってピストルズのイメージが強かったんじゃないかと思います。要は、毒づいてなんぼ暴れてなんぼ。

そう考えると、まさかそのパンクロックに前向きなメッセージと平易なメロディを乗せようなんて事は、そしてまさかそれが相性抜群だなんてことは、到底思いつきようがないんじゃないかと思うのです。

そもそも言葉を大事にして曲を作ろうと思ったら、ふつう出来上がるものはポップスになります。分かりやすくて取っ付きやすいメッセージを歌詞にしよう!などというのは、パンクとは真逆といってもいいくらいのアプローチです。

単純にピストルズアナーキー・イン・ザ・UKみたいなパンクをやろうと思ったら、アウトローで汚い言葉を並べまくった曲ばかりになるはずです。でもブルーハーツはそうじゃなかった。

人にやさしく、頑張れ、なんてワードをあえてパンクロックに突っ込んだ、という発想の凄さですよ。

そして何より最高なのが、恐らくそれがほんとうにロックンロールが好きだからこそたどり着いた境地だったんだろうなと思えるところです。
むかし何かのインタビューで、マーシーが「パンクロックは、当時の僕らにとってはロックンロールの最新型だった」と発言していたことがありました。

このへん妄想も入るんですが、おそらくヒロトマーシーは決して計算高かったからではなくて、ただロックンロールが好きで好きで仕方がなかっただけなんじゃないでしょうか。それで、どうにかしてそれを当時の日本で格好良くドカーンと見せつけることができないか?と考えに考えた結果、行き着いたのがあの形だったんじゃないでしょうか。
ライブ映像なんかを見ていると、なんとなくそんな気がします。

つまりブルーハーツは、演奏自体は荒削りなところもあったかもしれませんが、「ロックンロールを格好よく見せる」という事にかけては超一流のバンドだったんじゃないかと。

下手でも良い、格好悪くてもいい、というのはロックンロールをやるためのポーズであって、あくまでロックンロールとして最高だったというのがブルーハーツのすごさの本体なんじゃないか、と。

今はそう思います。

もしかしたら15歳の時の自分が心打たれたのは、駄目な自分を慰めてくれるような存在なんかではなくて、ブルーハーツがぶつけてきたロックンロールそのものだったのかも知れません。・・・などというのは妄想が過ぎるでしょうか。

 

まー何はともあれ、10年越しに見てもやはり格好いいですよ。ヒロトマーシーも河ちゃんも梶くんも。

 

いつにもまして長くなってしまいました。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

 

 

リアム・ギャラガーの声2017

 

こんばんは。

連休だからと油断していたら月曜のあいだに書き損じました。ぐう。

 

今回はoasisのボーカル、リアム・ギャラガーについて考えたいと思います。

個人的にオアシスは、今年に入ってから一番ハマったバンドの一つです。むしろ、なぜ今まであんまり聴いていなかったのか…。

今年の3月にsupersonicというオアシスのドキュメンタリー映画が公開されまして、元々少しずつ聴いていたところにこれを観てガッツリ心掴まれた感じです。曲が良いのはもちろんですが、エピソードを知るとまた一段と最高ですね。

90年代のバンドということで、自分がギリギリ生まれていた時代の話だと思うとまた身近に感じます。初来日の頃2歳とかだったので、ライブに行けたかっていうとちょっと難しかったですが…。

世代的には幅広く見れば甲本ヒロト真島昌利斉藤和義奥田民生と同じくらいですね。パンクムーブメントをリアルタイムで経験したかどうかくらいの人達なのでしょう。

 ビートルズピストルズの影響が強いというのも納得です。

曲、特にメロディの良さ、内省的ながらスケールの大きい歌詞、ステージの立ち振る舞いなどなど良い所はたくさんあると思いますが、それに並んでオアシスの大きな武器とされるのがリアム・ギャラガーの声です。ジョン・レノンジョン・ライドンを足して割った声という評価もあって、吐き捨てるような歌い方ながら透明感のある…というかもう、いい声です。最高にロックミュージックに合う声。

 

個人的に一番リアムの調子がいいと思うのは、このMy Generationのカバーの時です。

きょうびシャウト専門のボイストレーニングがあったりして、ロックボーカルも人に習って努力して身に付けるものという風潮がありますが、リアムに関しては才能100%で圧倒している感じで好きです。

はい。その一方で、後期のオアシスに一番多い批判(おそらく)もこのリアムの声に関することのようです。

曰く、キャリアを積むにつれ声が死んだと。

こんな動画も作られているくらいで、デビューから実質解散までの約15年で経年的に声質が悪化していったという見方があるようです。

実際に聞いてみると、うーん、確かに…。

dyingってのは言い過ぎな気はしますが、歳を追うにつれ声に透明感がなくなった→高音が出なくなった→声が伸びなくなった、となっていってる印象です。

 2000年ごろのザラついた声なんかはそれはそれで格好いいと思うのですが、高音が伸びなくなってバンドサウンドに対して声が引っ込み気味になってる事に関しては、確かに90年代と比べると元が良すぎただけにちょっと物足りなく感じます。

声がこうなった原因は酒かドラッグかはたまたツアーによる酷使かと言われているようです。考えてみるとロックスターってどう足掻いても喉に悪いことばかりする仕事(?)だと思うので、仕方ないことかもしれません。またリアムに限っては素行の悪さが魅力の一つでもあるので、もし喉を気遣ってお酒をひかえて龍角散なめてたりしたら、それはそれでガッカリな気もしますし・・・。

とすれば、これもいわゆる壊れゆく美しさという、そういったものの一つとして捉えれば味わい深くもあるように思います。

 

・・・ と、考えていたのですが。

 

あれ?声復活してない?

と。ここからが本題です。

こちらは今年のライブ映像で、マンチェスターで起こったテロ事件のチャリティコンサートの模様のようです。2017年6月とあるので、まさに今現在、最新のリアムの声ということになります。

なんだか、声のハリが戻っているような。

そんな気がします。

 

いや、気のせいではないです。

ロンドン五輪ごろまでガサガサの声だったのが、今や2ndアルバムの頃に迫る声質にまでなってきています。特にこのMorining Gloryはキーが高めの曲で、近年のライブだとあまり歌えていなかった様なのですが、この2017年のはすごく良い感じです。

50歳も近いこの時期に来て何故なのかは分かりませんが、これは嬉しい兆しです。子供もできて随分経って、生活習慣が健康的になってきているのでしょうか?

 

Live Forever、歳を重ねたリアムが歌うとまたグッとくる魅力がありますね。

 コメント欄を見ても” Liam is back!”というような書き込みがあり、どうやら長年のファンから見ても「リアム声戻ってきてるじゃん!すげえ!」という感想が多いようです。

また個人的には「(意訳)こんなオレンジのパーカーなんか着ててもこんなに格好いい男はリアムだけだぜ!!」というコメントが愛があってツボでした。

 

ソロ曲もオアシスの延長線上にあり、One Direction が歌詞に登場したりしていて若干きわどい所も含めていい感じです。

オアシス再結成こそ見通しは不明ですが、ソロアルバムの発表もあり来日もするとのことで、まだまだバリバリの活動が期待される方々なので、楽しみです。

もしかしたら、かなりいい時期にオアシスにハマれたんじゃないかと思います。やったぜ。

国産レスポールとバダスブリッジ

こんばんは。

今回はギター改造の話になります。

 

レスポールスペシャル バダス でググった事のあるかた向けの内容です。

僭越ながら、僕はギターを弾きます。

特にレスポールの形が好きで、現在レスポールタイプのギターを3本持っています。

先日、このうちのTokaiのlss93というレスポールスペシャルタイプのギターにバダスブリッジを取り付ける改造をしました。今回はこれについて書いていきたいと思います。

はい。そもそもバダスブリッジってなんじゃいという所ですが、

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これです。この銀色の、弦を引っ掛ける部分ですね。ここのパーツを取り替えました。

元々レスポールスペシャル(又はジュニア)というギターはスチューデントモデルで、パーツを簡素なものにすることでコストを抑えた廉価版です。そのせいもあって、そのままだとチューニングがあんまり合いません。ローコードをじゃかじゃか弾く分には問題ないのですが、ハイフレットの方に行くほどチューニングがずれていくという構造上の弱点があります。

これはブリッジが鉄の棒きれのような単純なものであるため、オクターブチューニングの細かな調整ができないことが原因です。

そこで開発されたのがバダスブリッジです。このブリッジは各弦ごとにコマがついていて、微妙なオクターブの調整ができるようになっています。ブリッジをこれに取り替えることで、ハイフレットの方の音も正確なピッチで弾けるようになるというわけです。

ロックンロールなんてテキトーでいいんだぜ〜なんつっても、やっぱり長年弾いていると微妙なチューニングのズレでたまにイヤな音が鳴るってのはじわじわ気になってくるものです。

豪快なようでいて所々せせこましい、それもまたロックンロールと心得ます。

 

はい。

 

ということで、今回の材料(?)は

ギター・・・Tokai lss-93 

ブリッジ・・・FERNANDES TV バダス タイプ ブリッジ CR 

これに追加として、FIXERのテールピースロックシステムも使いました。

FIXER 1642-N ミリ Nickel テールピースロックシステム

これは何かといいますと、ブリッジをギターに固定するためのワッシャーです。バダスブリッジに交換すると弦高の調整が上手くいかないことがあるとのことで、これでブリッジの高さを固定しました。作業自体は単純なもので、弦を外したらブリッジのネジをドライバーで抜き、代わりのフェルナンデス用のネジを入れてブリッジをはめるだけです。新しく穴を開けたり、既存の穴をさらに深く掘ったりする必要もありませんでした。

 ただ、ちょっと問題だったのがパーツの規格です。実は以前、今回のフェルナンデスのブリッジを買う前にALL PARTSが出しているバダスタイプのブリッジを買って失敗したんですね。というのも、実はALL PARTSのパーツはインチ規格なのに対して、TOKAIのような国産ギターはミリ規格になっていて、違う長さの基準で作られているからです。もちろんコピーモデルなので見た目はそっくりで、実際おおむね同じ寸法にはなっているんですが、問題は規格が違うとネジ穴がはまらないということで・・・。

形はほとんど一緒なのに、ネジ穴が違うばかりにどう頑張ってもはまらないというもどかしさですよ。

しかも通販ではインチ・ミリ規格どっちなのかは書いていなかったりするので、いざ取り付けてみないと分からない事もあります。基本的に国産のパーツはミリ規格で作られているのですが、国産だとはっきり分かるバダスブリッジというのは意外と見つからないものです…。

今回のフェルナンデスは中国製で、正直なところ賭けでしたがどうやらミリ規格だったようで無事に収まってくれました。

 ちなみに、

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こちらが元々ついていたブリッジです。

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こうして並べてみると、つくりの違いがよく分かりますね。

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そして、テールピースロックシステムのワッシャーがこちらです。ちゃんと解説も付いており、分かりやすかったです。ワッシャーは3サイズありましたが、僕は真ん中のサイズの奴がちょうどよかったです。弦高が変わるので、ここは好みによると思います。一応どのサイズを入れても音詰まりはしませんでした。

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改造後の仕上がりがこんな感じです。

見た目にはほとんど変わりませんね。

肝心の音ですが…、やっぱりチューニングが格段に良くなりました!ハイフレットでも違和感なく弾けます。また心なしか、そもそものチューニング精度も上がった印象です。弾いているうちにチューニングがズレていく不具合も減った気がします。

音色もちょっと変わりました。

  

改造前に録音したものがあれば比較になってよかったんですが、すいません、、。

アンプはYAMAHAのTHR-10Cで、iPadGarageBandにつないで録ってあります。

よりジャキジャキしたというか、ハイが強調されてテレキャスに近いような音になった印象です。

恐らく聴くほうからしたらわずかな差ですが、歌に被らない音域に近づいた感じです。弾きながら歌うにはよりよいギターになってくれました。

そして何より、この改造はマーシーもキースも藤くんも施しているものなので、見た目も近づいてちょっと嬉しかったりします。

こいつはそんなに高級なギターではないのですが、何やかんや付き合いも長くなってきたのでこれからもじっくり弾いていけたらいいなーと思います。

機材の良い悪いの基準は世の中様々ありますが、結局は愛着ですね。

「CHUCK」について雑感

 

こんばんは。

2週に1回ペースの更新が板についてきました。

 

さる6月9日ロックの日に、チャックベリーの新作アルバム「CHUCK」が発売されましたね。チャックベリー38年振りの新作スタジオ音源にして遺作でもあるという、非常に大事な作品となること間違いなしの一枚です。

 

個人的な意見ですが、僕は基本的にロックンロールなんてものは、てきとーに気ままに聴きあさってヘラヘラ楽しんだらいいと思うのです。そりゃあ時に名盤中の名盤とといわれているようなものを聴くときなどは、多少心構えを持ってかかることもあるっちゃあります。でも元々は若者文化のサブカルチャーなのであって、そこはテレビをのんびり観るくらいの感覚で触れていいものだと思うのです。

何となくテレビつけたらサザエさんをやってたから観てみた、くらいのノリで聴きたいものを聴きたいだけ聴いて、飽きたら一回置いて他のことやったらいいんです。

この人を知らないでどうする、とかこのアルバムを聴かずしてロックを語るな、とかそこまで気張らなくてもいいんじゃないかな、と。

そう思うのですが…。

 

しかし、いや、チャックベリーは…。

チャックベリーだけは、ロックンロールという文化に触れる上で避けては通れない存在だと思います。ジョンレノンも、ロックンロールという言葉を言い換えるならチャックベリーだろう、と言っているくらいですし。

余談ですが、「ロックンロール 宇宙」で検索するとチャックベリーが関連項目に出てくるのアツいです。

恐らく、宇宙船に人類の音楽文化としてチャックベリーの曲が搭載されたという逸話からでしょう。どっかで宇宙人がロックンロールを聴いているかもしれねえというそのロマンですよ。

 

話が逸れました。ともかくそんなチャックベリーの新作「CHUCK」、発売日に御茶ノ水ディスクユニオンで買ってきました。アナログ盤です。

壁に3枚飾ってあって、そのうちの1枚を連れて帰ってきました。「チャックベリーの新作レコードを発売日に買う」という、それだけでももう今後一生できない体験だと思うと緊張しましたね。

ジャケットは黒い背景に大股でギターを抱えるチャックベリーと、非常にシンプルです。f:id:yoshima_ryoichi:20170619210256j:image

盤についてもシンプルで、白地に簡素な黒文字でCHUCKってタイトルと曲名があるだけ。

それ自体何か意味があるのか、無駄を削ぎ落としきったようなデザインです。

 そういえばチャックベリーってチェスレコードのアルバムが多いと思うのですが、今回これはデッカから出てるんですね。

同梱で本人直筆の歌詞と、晩年に近い姿の写真集が入っていました。ジャケットのチャックは多分今よりやや若い頃のものだと思うんで、ちゃんと今の姿が収められていてよかったです。歳とってるけどやっぱり絵になる、格好よいです。

クレジットを見ると娘や息子、孫が参加しているようで家族の協力があっての作品だったようです。後述しますがサポートってよりもゲストメンバーとしてガッツリ演奏が前面に出ていました。 

そして肝心の内容ですが、

「…あれ?普通に格好いい!!」

というのが第一印象でした。

「普通に」なんていうと語弊がありますが、いや何しろ最近のライブ動画が結構ヘロヘロだったので…。

さすがに90歳ですし、年齢的に歌とか大丈夫なんだろうか、と思っていた節もありました。

しかし、このアルバムに関していえば全然衰えは感じなかったです。元気。

曲ごとに見ると、やっぱりBIG BOY 、LADY B.GOODEあたりがモロにチャックベリー節全開って感じで聴いてて楽しかったです。特にBIG BOY は「これこれ!」と言いたくなるような王道フレーズも入りつつ、コーラスの掛け合いなどは既存曲と比べても非常にキャッチーな印象でした。トム・モレロ参加曲なんですねー。

イントロの歌詞も「俺がお前たちくらいだった頃はよ〜」てな感じで、90歳に言われるとなんだかワクワクします。

チャックベリーというとギターのフレーズが何より有名ですが、実は歌も凄いんですよね。歌詞でしっかり韻を踏んだうえで跳ねるリズムで畳みかけるように歌うので、歌だけでも踊れるようなグルーヴがあります。今回もその魅力が十二分に味わえます。

作詞家としても評価が高いというのもうなずけます。考えてみれば Roll Over Beethoven、ベートーベンをぶっとばせ!なんてフレーズもすっごいパンチラインですよ。

LADY B.GOODEはジョニビグーの焼き直しといってしまえばそれまでですが、ギターに息子、孫が参加しているとのことで親子三代の共演を果たした一曲という点で味わい深いです。

どのソロが誰だろうなんて考えるのも楽しいですね。

この二曲はど真ん中の王道ロックンロールでしたが、ではアルバム全体が最初っから最後までロックンロール一辺倒かというとそんなことはなく、かなり色々な曲があるのも面白いところです。たとえばA面4曲目の3/4 Timeという曲はワルツ調で、ぶんちゃっちゃーぶんちゃっちゃーというリズムの曲です。歌も歌うというより語るような感じで、跳ねるリズムでグイグイ押していくのとはまた違った良さがあります。

Jamaica MoonはHavana Moonの焼き直しにあたる曲でしょうか。ギターの音が複数ダビングされてるのと、コーラスがしっかり入ってるのでHavana Moonよりちょっと豪華ですね。

たしかキース・リチャーズがチャックの曲で一番好きなのがHavana Moonだという話があったので、さぞかしこれを聴いて喜んでいるのではないでしょうか。

 また曲順ラストにあたる Dutchman〜Eyes Of Man、これらも語りかけるような曲調です。

自分の最後のアルバムに、エレキギターを弾き倒すような曲やインスト曲ではなくこういった言葉を聴かせる曲を多く入れているあたり、本人の自己認識としてはギタリストというよりシンガーだったのかもなあとも思います。

 

・・・こう振り返ってみると、過去曲の自己オマージュだったりひたすら喋ってるだけだったり、冷静に考えるとなかなか首をかしげたくなるような事を沢山やってますね。

でもそれが格好良くて、しかも聴き飽きない仕上がりになっているのは流石も流石で、やっぱり大発明だったんだなと改めて思いました。