ロックンロールで一夜漬け

ロックンロールで一夜漬け

音楽に踏み込む探検日記

ギタアルアレイのこと②〜Live編〜

こんばんは。

一気に冷え込んで、年末らしくなってきました。今年も終わりですね。

今年は本当に色々と身の回りの環境が激変して多忙だったのですが、振り返るとポールマッカートニー、リアム武道館、サマソニでノエルを観ることができて、他にもThe Birthdayドレスコーズやヨギーやネバヤンなどなど色んなライブに足を運ぶことができました。幸せなことです。

大変なことは沢山あっても、音楽もといロックンロールと共にあれば何とかなるということを実感した一年だったように思います。

あんまり新しいバンドが掘れなかったのが心残りですが、焦ることはないですね。

 

そして、そんな一年の終わりに、

ライブをやりました。

ギタアルアレイで。

ギタアルアレイて誰だよ知らんわという人が10割だと思うのでご紹介しますが、私です。

ぼく、ヨシマがやっている架空のロックンロールバンドです。

「架空の」というのは、存在しないからです。そんなバンドは。

「こんなバンドがいて、こんな曲で、こんな歌詞で、こんな演奏してたら格好いいのになあ」という中学生レベルの妄想を、ちょっと現実寄りに引っ張ってきたのがこのギタアルアレイです。

架空のバンドなもんで、現実に人前で演奏するって本来ありえないことなのですが、「俺の考えたカッコいいロックバンドの曲は、もしライブハウスで鳴ってたとしたらこんな感じになるぜ」ということをその場に居る人と共有する、というスタンスで今回やってみました。

あまり具体的なやり方に言及すると野暮ではありますが、

要は「『ギターを持った岡崎体育』方式」です。

感情のピクセルをライブでやってる時の感じ。

…自分で考えたものの、表現が的確すぎて悲しくなってきます。

ロックンロールとは何だったのか。

このくだり書くために岡崎体育聴き直しましたが、なんや普通にめっちゃ格好いいですね・・・。

どうして普通にバンド形式でやっていないかというと、ひとつはもう単純にこのぼくの不徳の致すところです、ロックンロール的な意味で。

ロックンロール好きな仲間を集めて、バンドを組んで、喧嘩別れせずにちゃんと鍛え上げて、ライブを企画して、聴く人を集めて演奏する。シンプルにそのこと自体のハードルの高さがしんどいです。なんでみんなできるんだろう。

何ですかね、なんか、人を誘ったりとか、声かけたり巻き込んだりとか、気持ちを伝えたりとか、そういうのが特に、昔っから上手くいかないですね…。

やめましょう、暗い暗い。

なお、かつて昔、そういう色々で悩んで閉じこもっていた時期の自分に歌うつもりで、魂を削って作ったのがこの2曲です。ベイベー。只々つらい。

なお、一連の演奏を後輩に聴かせたところ「なんか、あのめっちゃ逃げてる曲すごいよかったっすね」と言われました。

はい。街の灯っていいます。街の灯です。

話が逸れましたが、あともう一つ、このバンドを架空のバンドとしている理由があります。それは、

ドレスコーズの「平凡」のような作品が出てくる時代になって、「2018年からロックンロールバンドを新しく始める」というのが自分の中で納得いかなくなって悩んでしまった…ということです。

ビートルズストーンズ、オアシス、クロマニヨンズThe Birthday毛皮のマリーズ、、

自分がかつて憧れたような、そんなロックンロールバンドを「今から、新しく」結成するというのは、時代を考えるとどうしてもしっくりこない。それは今が音楽が売れない時代だという事とか、または音が古いだとかいう事ではありません。

現代の人々が、何より自分が今の時代を生きるにあたって抱えている問題や悩みというものが、ロックンロールで解放されない質のものになってきている…ように思える、ということです。

このあたりあまり言語化できていないのですが、具体的に言えば

「個性を大事にしよう」「好きなことをして自由に生きよう」「差別なんかやめよう」

これらはどれも、とっても大事なことで、50年近くロックンロールがずっと言い続けてる大きな主張のひとつだと思います。

でも今ぼくらが苦しんでるのって、こういう事とは別の何かのような気がしてですね、、。

例えばSNSでいいねとリツイートの数に振り回されてうんざりする感覚なんかは、むしろ「個性」や「好きなこと」の尊重のしすぎから来ている気さえします。

だとしたら、ロックンロールってむしろ正にその「個性」や「好きなこと」を全力で持ち上げるものなので、むしろ人を疲れさせる音楽に成り下がっていないでしょうかね、、。いや、元々別にヒーリングミュージックじゃねえのは勿論ですが。

またこれは別の話ですが、曲を生産する事自体、聴き手の疲れを助長させることにつながりうるんじゃないか、という悩みもあります。音楽を掘るというのは、本来は楽しいものを見つける楽しい作業のはずでした。しかし、今は指先1つで数千万曲に行き当たるわけで、情報量が多すぎて探すにも疲れてしまうという事態になっています。そういう状況下で、さらに曲を、コンテンツを増やして聴いてくれって押し付けるというのは、ただ疲れの元を増やすだけになりえないかな?とも思えてしまうのです。

だとすれば、二重の意味で解放の音楽としてのロックンロールってもうありえないんじゃないかと。そんなものがあるとすれば、それは架空の存在でしかないんじゃないか?

と。

いまいち正鵠を得ていないようですが、ギタアルアレイを架空のバンドとしているのはこういった気持ちからです。

架空のロックンロールバンド、架空の存在だから、そもそも個性も何もない。生身のカラダを持たない分、コンテンツとしても軽く、聴くことも聴かないことも強制せず、イメージだけでただそこにある。それでも、しっかりとしたルーツを持って、歴代のロックンロールバンド達への憧れを持って、音を鳴らしていく。

そんなふうにできたらいいなあ、と。

 

上記のようなことをダラダラダラダラと一年近く考えているわけですが、実際のところギタアルアレイで主張したいことはとてもシンプルです。

「ロックンロールは宇宙だ」

そしてぼくがギタアルアレイに望んでることは1つ、

「ロックンロールに帰属したい」

ということです。

色々書きましたが、やっぱりぼくはロックンロールバンドに憧れていまして。ロックンロールという宇宙みたいに大きな文化が好きで、そののなかの住人のひとりでありたいと。

ロックンロールの歴史というか、奔流というか、そういうものの中に自分を置いておきたいと、ただそれだけの事なんです。

もっとも、考え込むのが性分なので、そこに至るまでに今までも恐らくこれからも色んな葛藤があるわけなのですが…。そこも含めて横目で見てくれたなら幸いです。

 

ギタアルアレイです、よろしくお願いします。

来年はもうちょっと動けたらいいなあ、でもゆるゆるやります。