ロックンロールで一夜漬け

ロックンロールで一夜漬け

音楽に踏み込む探検日記

ブルーハーツが聴こえる、考える

 

こんばんは。

ギャーーーーー!!

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はい。

2週間ほど前、ブルーハーツ(とマーシーソロ)のアルバムのアナログ盤の再販がありました。過去作のアルバムはほとんど全てリリースされています(欲を言えば、ライブ盤も出してほしかった・・・)。流石に全部買うわけにはいかず、悩みに悩んだ結果、特に思い入れの深いこの三枚を手に入れました。

1stの「THE BLUE HEARTS」と後期の名盤「STICK OUT」、そしてマーシーのソロ作品である「夏のぬけがら」の三枚です。

早速聴いてみると、アナログだからなのか音圧が凄い!特にやや音が薄めだったファーストが迫力増していて驚きました。アナログ化といっしょにリマスターもされたのでしょうか?いずれにしろ買った甲斐があったというものです。

LP版の大きいサイズでこのジャケットが見られるのも嬉しいところですね。部屋に飾れます。

そしてSTICK OUT、実はこのアルバムと僕は同い年です。しかもこのアルバム収録の1000のバイオリンという曲、これこそ僕がブルーハーツを聴くきっかけになった曲です。約10年前、15歳の時にこの1000のバイオリンを聴いたことがきっかけで僕はブルーハーツを聴くようになり、やがてストーンズを知りチャックベリーを知りロックンロールを知るきっかけになったというわけです。ということで非常に思い入れのある一枚です。他の曲を見ても「すてごま」「俺は俺の死を死にたい」「月の爆撃機」など、佳曲の多いアルバムだと思います。

夏のぬけがらはブルーハーツのギタリスト、マーシーのソロアルバムです。ブルーハーツとは打って変わってアコースティックでゆったりとした曲の多いアルバムです。マーシーのノスタルジックな一面が前面に出たアルバムですね。個人的にマーシーは出身地が非常に近いこともあってか、歌われている情景が自然に入ってくるので味わいがいがあります。これも好きなアルバムの一つです。
聴き直して改めて、ブルーハーツは、ひいてはヒロトマーシーはやはりすごいなと思いました。
しかしその一方で、聴き続けて10年も経つとまた違った感想も出てくるというものです。
「すげーー!!」っていう最終的な感想自体は同じでも、じゃあ何がすごいのか言葉にしてみると、違った解釈が出てきます。
今回は、そこの所について考えてみたいと思います。
ひょっとしたらもう語り尽くされている事かもしれませんが、そこは若輩者ということでご容赦ください。ロッケンロー!!!

 

さしあたって、まず高校生の頃の自分の考えを思い出しながら整理してみたいと思います。

そもそも最初の最初、聴き始めの15歳の頃、僕はブルーハーツは「『上手くやれなくてもいいんだ!下手でもいいんだ!格好悪くてもいいんだ!!』と言ってくれる人達」だと思っていました。
当時の僕は、テレビで流れるキラッキラの前向きなアイドル曲に対して、ある種の取っ付きづらさやモヤモヤ感を感じていました。つまり「いいこと言ってるけど、この人達はアイドルだしファンも沢山いるよな」ということです。何だかんだ容姿に運に恵まれてるじゃないか、と。笑顔を振りまいて大きな声が出せて、それができるならそもそも悩んだりしてないわ、と思ってしまっていたわけです。
劣等感を引きずる遣る瀬無さが分かるのかと。
(今考えるとアイドルもアイドルで苦労があるに違いなくて、またアイドル曲というのはポップスに精通した音楽大好きな大人達の力の結晶であり、決してないがしろにはできないなと思いますが・・・。とにかく当時の考えです。)

それに対して、ブルーハーツはほんと滅茶苦茶やってますよね。テレビに出てもインタビューにまともに答えなかったり、目ん玉ひん剥いて、わざとかってくらい音程外したりして。
僕はこれを見て、ブルーハーツは「綺麗でいられなくても堂々と生きていていいんだ」という事を示してくれる人達なんだ、と感じたわけです。滅茶苦茶な動きで、荒削りな演奏で、飾らない剥き出しの姿を誇ることをその身をもって体現している人達なんだと、そういう風に見ていました。


彼らの「ダンスナンバー」という曲の歌詞にもあります、「格好悪くたっていいよ、そんな事問題じゃない」。まさにそういう人達なんだ…と。
それは内気で気弱だった当時の僕にとって、大きな光に感じられたものです。
白状すれば、世に出回るアイドルやポップスは安っぽい偽物で、ブルーハーツこそ本物の格好良さを持っているんだと、そんな風にさえ思っていました。

それから10年経ちました。

まだまだ知らないことだらけではありますが、色んなことも経験して、また当時よりはずっと様々な音楽を聴くようになりました。そうなって今改めて、ブルーハーツについてこう思います。

 

いや、違うなと。


ブルーハーツ普通にめっちゃ賢いわ、と。

 

そこの所がはっきり言語化できたのは、この番組を見たのがきっかけです。

 

山田玲司ヤングサンデードレスコーズの志磨遼平をゲストにゼロ年代の音楽について話している回です。この回の主題は「ゼロ年代のあの雰囲気はなんだったんだ?サンボマスターとは何だったんだ?」というようなことで、これはこれで非常に面白そうなテーマではありますが、今は置いておきます。
この中で、ブルーハーツに対してこんな風に言及されています。
いわく、「ブルーハーツはパンクの和訳」「パンクの精神性をアホに分かるまで噛み砕いたもの」だと。

つまり、ブルーハーツの何が凄かったかというと、ロックンロールを誰にでもわかる単純明快な形で打ち出した事だというんですね。ポジティブなメッセージソングを作ったからじゃないと。

当時ブルーハーツの歌が人を励まし、元気づける力になったのはおそらく事実で、そういった面も確かにあったんだと思います。
しかし、ブルーハーツの功績は心を打つメッセージソングを作ったこと自体ではなく、あくまで日本語でパンクロックをやって、より多くの人にパンクの精神性を示してみせたという事の方なんじゃないかというわけです。
あくまでキーはパンクロック、そしてロックンロール。
その事を念頭に置いて、改めてブルーハーツの曲について考えてみます。

ブルーハーツで一番有名なのって、やっぱり今でもリンダリンダなのでしょうか。意外と今日びCMやアニメで耳にするのは、1000のバイオリンの方が多いような気もします。


宮崎あおいのCMとかローリンガールズとか、ありましたね。

実はブルーハーツは曲の幅が広く、特に3rdアルバムなんかはルーツに立ち返ったのかブルースやレゲエや様々な影響が見て取れます。
しかし基本的にはやはり、シンプルなエイトビートとこれまたシンプルなメジャーコードが中心のギターに、日本の童謡のような平易な言葉とメロディが乗っている。これがやっぱりブルーハーツらしさだと思います。

このスタイル、ものっっっすごい賢いと思うんです、今考えると。

まず第一に、歌詞の言葉の分かりやすさです。ブルーハーツ(特に初期)の歌詞は、本当に分かりやすい。日常で使わない語彙はほとんど出てこないですよね。抽象的で哲学的な言葉は少なく、小学生でも分かるくらいの日本語で作られています。また、実は明らかな中傷や汚い言葉が目立たないのもポイントで、聴いていて耳触りが悪くならない。同時にこれは、口ずさみやすい曲だということでもあります。

次にメロディに注目しましょう。例えば情熱の薔薇のような一音が長めにとられたメロディは、日本語の音数によく合います。英語と日本語ってそもそも語音の捉え方が違ったりするので、英語詞のメロディにそのまま日本語を乗せてもアクセントが上手くいかなくて、言葉として伝わりづらかったりしますね。むしろ日本に昔からある童謡や歌謡曲の方が、日本語には合っているはずです。それを分かった上で、メロディはそっちに寄せてきているんじゃないかと思われます。

そして演奏のスタイルですね。
おそらく演奏面でブルーハーツの土台になっているのはラモーンズや初期のクラッシュで、ギターはジャカジャカとコードを弾くパートが大半で、ベースもドラムもあんまり動きませんよね。
そのように後ろの演奏が必要最小限にまとめられているからこそ、より言葉が耳に入りやすくなっているのではないかと思います。
たとえば極端な話、歌のバックでギターが延々とピロピロ早弾きしていたら、そっちが気になって歌の方が頭に入ってこなくなりますね(慣れるとそれもいいんですが…)。

まとめると、ブルーハーツの楽曲ではロック音楽という形態の中で一番多くの人に伝わりやすい要素である「言葉」の部分が、さらに最も伝わりやすいような形のメロディ、演奏に乗せられているということです。
考えるほど、実は万人向けのスタイルだったんじゃないかってわけですね。音楽を聴き慣れていない層でも抵抗なく聴ける。
これら一つ一つの要素に、必ずしも難しいことはないと思います。なにも突飛な音楽理論に基づいているわけでもなければ、難解な語彙や思想も必要としないわけですからね。ひょっとしたら、やろうとさえ思えば誰でもできたのかもしれないです。

しかしブルーハーツの本当に凄い所は、それらを組み合わせてロックンロールにしたら格好いいぞ、ということを発見して実際にやってのけたという、まさにその事実そのものではないでしょうか。

先程まで歌詞や演奏のことを長々書き並べてきましたが、結局こんなのはブルーハーツの存在を前提にした上での後付けの考えです。当時は、まさかパンクロックでそんなやり方があるとは本当に誰も考えなかったんじゃないかと思います。
そしてその発見こそが、一番ブルーハーツの鋭いところなのではないかと。

当時の状況を想像するに、まだ日本には日本語のパンクが浸透していなくて、極端に言えばパンク=セックスピストルズ、という認識の時代だったのではないかと思います。反体制、無政府主義者を標榜し、未来はないと吐き捨て、時には女王陛下さえコケにする。そういう姿勢こそがパンクだ!と。
もちろんラモーンズやレジロスのようにアナーキズムからはやや縁遠いパンクロックもあったにせよ、今ほど海の向こうの情報が多くない事も踏まえると、やはりインパクトからいってピストルズのイメージが強かったんじゃないかと思います。要は、毒づいてなんぼ暴れてなんぼ。

そう考えると、まさかそのパンクロックに前向きなメッセージと平易なメロディを乗せようなんて事は、そしてまさかそれが相性抜群だなんてことは、到底思いつきようがないんじゃないかと思うのです。

そもそも言葉を大事にして曲を作ろうと思ったら、ふつう出来上がるものはポップスになります。分かりやすくて取っ付きやすいメッセージを歌詞にしよう!などというのは、パンクとは真逆といってもいいくらいのアプローチです。

単純にピストルズアナーキー・イン・ザ・UKみたいなパンクをやろうと思ったら、アウトローで汚い言葉を並べまくった曲ばかりになるはずです。でもブルーハーツはそうじゃなかった。

人にやさしく、頑張れ、なんてワードをあえてパンクロックに突っ込んだ、という発想の凄さですよ。

そして何より最高なのが、恐らくそれがほんとうにロックンロールが好きだからこそたどり着いた境地だったんだろうなと思えるところです。
むかし何かのインタビューで、マーシーが「パンクロックは、当時の僕らにとってはロックンロールの最新型だった」と発言していたことがありました。

このへん妄想も入るんですが、おそらくヒロトマーシーは決して計算高かったからではなくて、ただロックンロールが好きで好きで仕方がなかっただけなんじゃないでしょうか。それで、どうにかしてそれを当時の日本で格好良くドカーンと見せつけることができないか?と考えに考えた結果、行き着いたのがあの形だったんじゃないでしょうか。
ライブ映像なんかを見ていると、なんとなくそんな気がします。

つまりブルーハーツは、演奏自体は荒削りなところもあったかもしれませんが、「ロックンロールを格好よく見せる」という事にかけては超一流のバンドだったんじゃないかと。

下手でも良い、格好悪くてもいい、というのはロックンロールをやるためのポーズであって、あくまでロックンロールとして最高だったというのがブルーハーツのすごさの本体なんじゃないか、と。

今はそう思います。

もしかしたら15歳の時の自分が心打たれたのは、駄目な自分を慰めてくれるような存在なんかではなくて、ブルーハーツがぶつけてきたロックンロールそのものだったのかも知れません。・・・などというのは妄想が過ぎるでしょうか。

 

まー何はともあれ、10年越しに見てもやはり格好いいですよ。ヒロトマーシーも河ちゃんも梶くんも。

 

いつにもまして長くなってしまいました。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。