ロックンロールで一夜漬け

ロックンロールで一夜漬け

音楽に踏み込む探検日記

The Birthday TOUR2017 NOMADに行ってきた

 

こんばんは。
11月ももう終わりですね。高尾山の紅葉がきれいでした。

 

つい昨日、The BirthdayNOMADツアーファイナルに行ってきました。Zepp Divercityの2デイズ公演で、その2日目の方でした。
今月ずっと楽しみにしていたのですが、想像を上回るやべえライブで終始鳥肌立ちっぱなしでした。
という事で、いつも通り感想いってみたいと思います。

今回ライブ翌日のテンションで書いているので若干とっ散らかりがちですが、よろしければお付き合い下さい。


まずそもそもこのThe Birthdayはどんなバンドかと言えば、かのTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのフロントマン・チバユウスケとドラマーのクハラカズユキが現在組んでいるバンドです。今年で結成12年ということで、そろそろミッシェルよりバースデイ時代の方が長くなるようですね。ミッシェル時代の曲は全く演奏されませんし、全くの別バンドと見るべきものでしょう。
一般的に、以前ひと時代を築いたバンドのフロントマンが新しく組んだバンドというのは、どうしてもフロントマンのソロのようになりがちなイメージがあります。しかしこのバンドに関してははほんと、全員がスターみたいなバンドだなと思います。チバユウスケという圧倒的に強いフロントマンが居ながら、バックのフジイケンジ、ヒライハルキ、クハラカズユキの三人も全く力負けしてない。
一人一人が、この人しか出せないって感じの音を出しているのが凄いです。
敢えて言うなら、本物観たことないですがレッド・ツェッペリンみたいな感じというか・・・。

実際ライブで聴いてみると、何よりまず音圧がヤバいですね。耳にというよりも全身に叩き込まれるような勢いで、頭が割れそうな程なんだけど聴き入ってしまいます。

チバのギンギンに歪んだ声ももちろん、高音で暴れ回るギターも超低いところで唸るようなベースも、そしてドラムの力強さもあってのこの音なのでしょう。
また、ただ爆音なだけでなく、各楽器の音がしっかり聴こえるけども全体の音圧は凄まじいっていう絶妙なところをキープしており、さすが熟練のバンドだなと思います。

各楽器ごとで見ていきましょう。まずギターは、パンクど真ん中な感じのヘヴィなギターリフからディレイを使った飛び道具的な音の置き方まで、本当に多芸な印象です。
ジャジーな感じの落ち着いたフレーズで曲に華を添えたかと思ったら、次の曲では一転してリフとパワーコードでゴリ押すようなギターになったりと。その変化がスリリングです。

ベースはめっちゃ重低音で迫力ある音ですね。ベースって低音楽器とはいってもそこそこ高いところも出るので、バンドによっては中〜低音くらいのところで単音ギターの代わりみたいな役割をしていたりすることもあると思います。しかしこのベースはもうまさしく重低音で、生で聴くと腹の底に響くようなタイプです。
高音域にギター二本がいて、中音域をチバのぶっとい声が支配していると考えるとそうなるのも必然なのかもしれません。
ミュートの効いた刻みでしっかりリズムを支えつつも、実はかなり複雑なフレーズを弾き倒しているのも格好いいところです。
たしかベーシストだけ30代でひと世代くらい下の若い人だったと思うんですが、他メンバーにも全く負けてないですね。それで一言も喋らないで黙々と仕事しているあたり渋いです。

ドラムは手数やバカテクで攻めるタイプというよりは曲ごとの強弱がすごくしっかりしていて、抑え気味でじっくり聴かせるところから一気にグァッと盛り上げていくとかそういう部分がめっちゃ上手いと思います。それこそ指揮者というイメージでしょうか。
MCも適度にゆるくて、他の人があまり喋らないぶんいいバランスになっていましたね。
タカラ焼酎の話とか、その辺の飲み屋にいるおじさんみたいな・・・。

ボーカルは、分かってましたけどやはり生で聴くと鳥肌もんです。どっから絞り出してるんだってくらいの嗄れ声ですね。楽器なしでボーカルだけのパートでも凄いビリビリくるし。
あとチバさんの歌詞が僕は凄く好きで、一見すると関係ないような単語を散りばめて歌の中でひとつの情景を作り上げていくような手法が独特だなーと思います。抽象的な景色や場面をバラバラに写していくという点では、詩というより映画を基にした表現技法なのかもしれません。それがまあ、あの声と爆音によく合うんですよね。
随所で織り込まれるギターとハーモニカもめっちゃ格好いいっすね。荒々しいようでリズムが非常に安定してて、ボーカルパートの演奏する楽器としてとても美味しいです。
あとやっぱフロントマンらしいところとして、演奏中の手を上げたり首振ったりの細かい所作やMCのささいなひと言がいちいち格好いいのは、もうカリスマっつーかずるいとしか言いようがないです。

はい。

セットリストは以下の通りでした。

NOMAD以外からはベスト盤のGOLD TRASHからの選曲が多かったように思います。最新作とベスト盤を押さえていればしっかり楽しめる構成になってるのはありがたいことですね。
また、白状しますと知らない曲もいくつかあったのですが、それでも歌詞もメロディもばっちり耳に入ってきてくれるあたりは流石です。
やはりNOMADのメインだった「夢とバッハとカフェインと」や「抱きしめたい」あたりが今回のキモだったとは思うんですが、他の曲もライブだとまた一味違う良さがありますね。
特に今回ワンマンで聴き通して思ったんですが、このバンドは踊れるナンバーが強いですね。最新作でいうと特にGHOST MONKEYなんかがそうですが、リズム体とボーカルでグイグイ引っ張っていく様は圧巻です。最新作はミドルテンポの曲が多くてどっしり聴かせる感じの曲が多かった印象だったのですが、ライブだとさらに化けるなぁと改めて感じました。
また、知ってる曲についても原曲ではなかった所にタメがあったり、間奏がよりジャムっぽく暴れ回る感じになっていたりと、ライブらしい演出が沢山あり聴きごたえがありました。

そして何だかんだ言ってもアンコールで涙がこぼれそうが聴けたのは嬉しかったですね。サビで合唱するのはライブ映像で観て知ってましたが、実際その場に居るとまた感無量です。
アンコール2回目のラスト曲、缶酎ハイ片手に演奏されたローリンではコールandレスポンスもあり、煽りも十二分で思いっ切り叫べました。

チバさんのMC書き出します。

「大事な日曜日だからここに来てんだろ!」
「ありがとなー」
「(オーディエンスの叫び声に)…カッ!!」
「(アンコールで酒飲みながら)ガソリンなんだよぉ。」
「きょうはダイバーシティで、お前らと一緒だぜ!!」

2時間あって、ほとんどこれだけです。
かっけえ。

The Birthdayのワンマンは今回初でしたが、本当に楽しかったです。幸いツアーはしょっちゅうやってくれてるようなので、また行きたいものです。

また年明けにライブ盤が出るそうなので、そちらも楽しみです。今回のも収録されるといいな。

 

リアム・ギャラガー「As You Were」雑感

 

こんばんは。
小春日和って感じでよき日頃ですね。

今回はオアシスの元ボーカリストリアム・ギャラガーのソロ1stアルバムにあたるAs You Wereについて書いていきたいと思います。今年9月に発売されたばかりで、全英アルバムチャートで1位を獲得したヒット作です。

オアシスの解散から8年経ち、さらにリアム自身が一度音楽界から離れた後の初アルバムリリースということでしたが、やはり変わらず根強い人気がありますね。
えてして元売れっ子バンドのミュージシャンのソロデビューというのは、予想外に上手くいかないこともある印象です。しかしことリアム・ギャラガーに関しては、そんなことはなかったようです。
何より、アルバムの出来自体がすごくいいです。オアシスの過去キャリアを抜きにしても評価されて然りの作品だと思います。

ド真ん中のロックンロール・アルバムということで、やはり僕はアナログ盤で買って聴きました。最近はアナログ盤でもダウンロードコードがついていてiTunesにも入れられます。べんり。
今作はオアシスでもビーディ・アイでもない、リアム・ギャラガーのソロ名義ということで、おそらく全キャリア通しての過去作品の中でも一番リアムが作詞作曲に関わったアルバムと思われます。オアシス時代はほとんど曲を自作せず、ノエルが作った曲を歌うのが主な役割であったリアムだけに、ソングライティングという面は今作の見どころのひとつです。
具体的にどの曲のどの部分を作ったのかというのはインタビューなどを読んだ限りでははっきりしませんでしたが、どうやら部分部分を共作したものもあれば、メロディも歌詞も全部リアム自身が手掛けたものもあるようです。
また、オアシス後期において声がガラガラに劣化していると批判されていただけに、今回ボーカルがどうなったのかも大きなポイントでした。

一ヶ月かけて聴き込んだ感想としては、どっちも最高でした。リアムすげぇ。

収録曲は以下のようになっています。
1. Wall Of Glass
2. Bold
3. Greedy Soul
4. Paper Crown
5. For What It’s Worth
6. When I’m In Need
7. You Better Run
8. I Get By
9. Chinatown
10. Come Back To Me
11. Universal Gleam
12. I’ve All I Need

アナログ盤でいうと1〜6までがA面、7〜12がB面ですね。ただインタビューを見る限りリアムはアナログ指向ではないようなので、その辺はあまり気にしなくてよいかもしれません。

順番に見ていきましょう。
詳細なレビューは他所にお譲りして、ここでは聴いていて感じたことをざっくり書いていきたいと思います。よろしくお願いします。


1. Wall Of Glass
リード曲でシングルにもなっていたWall Of Glassが一曲目です。ストレートなギターロックをやるというのが今回のテーマだそうで、それに相応しい王道です。王道といってもリズムはダンスミュージックに近い感じで、コテコテの60年代風ブリティッシュビートとはまた違ったテイストです。
比較的早い時期からYouTubeでMVが公開されていて、「リアム、声全然いい感じじゃん!」と思った覚えがあります。
この曲はたしかプロデューサーとして携わったグレッグ・カースティンが持ってきたそうです。作詞はおそらくリアムで、one directionが歌詞に出てきたりして物議をかもしていました。
ボーカルももちろん、絶妙な音程感のサイケなギターリフや硬質なベースも美味しいです。MVもクール。

 

2.Bold
2曲目にしては落ち着いた曲調で、でも歌詞を見るとやさぐれていて不遜で、なんというかまさにリアム・ギャラガーのイメージ通りな感じです。
この曲に限らず今回かなりアコースティックギターが多用されていて、そこも特徴の一つかと思います。音数は決して多くないのに重厚に聴こえるのは、やはり何と言ってもリアムの声の力が大きいのでしょう。
個人的に間奏後のCメロが気だるいながら迫力あって好きです。

 

3.Greedy Soul
今回オアシス成分が一番強いなぁと思うのがこの曲です。シンプルなコード進行とギターリフで突き進むナンバーで、確かリアム自身一番のお気に入りがこの曲だったはずです。確証はないですが、この曲はほとんどの部分をリアム自身が自作したんじゃないかと思ってます。
歌の入りはSupersonicを彷彿させるようなメロディですね。吐き捨てるような歌い方がよく合います。歌詞も、貪欲な魂と生きていくぜ!という非常にハングリーな世界観です。若い頃成功した45歳の詞じゃない。
ライブ版だとエレキギターで演奏されており、よりヘヴィなアレンジになっているようです。

 

4.Paper Crown
こちらは一転してゆったりしたナンバーで、アコギ一本の弾き語りから段々楽器が増えて盛り上がっていく構成です。語りかけるような歌い方で、歌詞はおとぎ話のような抽象的なもののようです。Greedy Soulもそうですが、こういうシンプルな造りの曲ほどボーカルがよく映えますね。元々の声質に、歳を重ねたシンガー特有の枯れた感じの成分が加わっていてとても格好いいです。

 

5. For What It’s Worth
アルバム発売前にリリックビデオが公開されていた曲ですね。
こちらは何と言っても「俺が間違っていた」と歌う謝罪ソングであるという、ある意味で衝撃の一曲です。過去あれだけ不遜で素行の悪さが取り沙汰されていたリアムが、まさかこんな曲を作って歌うとは。
しかし本人的には最もオアシス的な曲とのことで、確かに曲構成やメロディにはDon't Look Back In Angerを思い出させるような匂いがあります。考えてみればDon't Look Back In Angerにも、歌詞は抽象的ながらも過去を許して受け入れていこうというようなニュアンスがあり、その点でテーマ的にも通じる所があったのかもしれません。
それだけに、ツアーでも合唱曲になりうる魅力を持った曲のように思えます。

また前述の通り謝罪ソングではあるものの、決して自分を貶めるような言葉はなく、またすぐに「人は道を見失うことだってあるさ」と切り替える所まで含めると、やっぱりそこはリアムらしくもあります。

 

6. When I’m In Need

こちらもギター1本から始まるナンバーですね。コーラスがとても綺麗です。シンプルなラブソングという感じで、後半のリバーブが深めに入ったシンセやほんの少し入った逆再生などからサイケな印象も受けます。
歌詞にPurple Hazeなど著名なロックナンバーの名前が入ってくるあたりは、オアシスの頃からよく見られる手法ですね。


7. You Better Run

B面一曲目です。お前なんか全然大したヤツじゃないぜ、逃げろよ、隠れろよ!ってことで、一転攻勢の曲です。For What It’s Worthの後に平然とこういう曲がくる、この切り替えが素敵です。
たしか、若手のロッカーにハッパをかける曲だというインタビューがあったような覚えがあります…。
サビでのGimme ShelterとHelter Skelterを連呼、これもやっぱりストーンズビートルズのリスペクトでしょう。

 

8. I Get By
カウントなしのイントロからいきなり強烈に歪んだギターリフが響く、激しさで言えば今アルバム中でも屈指の曲です。
ドラム・ベースによるリズムもかなり強調されていて、ガッシリ重厚なサウンドです。
俺の心を壊せるのは愛だけだ、という殺し文句は、やっぱりジョンレノンっぽいなあと少し思います。

 

9.Chinatown
事前にビデオが公開されていた曲その3です。ヘヴィなギターロックだったWall of Glassと対照的に、ほとんどアコースティックギターとパーカッションだけで進んでいく素朴な曲です。
いきなり中国…?と思ったのですが、ロンドンに中華街があるそうでそこの話のようですね。
「警察が全てを取り上げていった」「ヨーロッパ人って何だ?」「自由って何だ?」
という、珍しく政治や人種問題に触れるような歌詞が見られます。それもあってフォーキーな雰囲気もします。
ビートルズのHappiness is a Warm Gunの引用もありますね。この曲はジョン作だったと思いますし、やはりジョンレノンの思想が背景にあるのでしょうか。

また、そことは全然関係ないところですが、個人的にはリアムのサ行タ行の発音が歯切れが良くて好きです。


10.Why don't you come back to me
これはまたギターが前面に出たサイケ寄りの曲ですね。イメージとしてHindu Timesとかそのあたりに近いような感じでしょうか。
俺の所に帰ってこいよ!って、まあストレートなラブソングだと考えるのが妥当ですが、ほんの少しでもノエルに向けられてるのかな…?という気もします。
引っ掻き回すようなギターソロがいいですね。

 

11. Universal Gleam
曲名からして名曲感がすげえなぁと思って聴いてみたら、やっぱり凄く良い曲でした。
Universal Gleamは直訳すると宇宙の輝きということで、やはりオアシスのChampagne Supernovaを思わせる曲です。
歌い出しのコード進行はおそらくクリシェですね。これは半音ずつ音が下がっていくという一風変わったもので、有名どころでビートルズのSomethingでも見られる技法です。これは曲の壮大なスケール観を作り出すことに一役買っているように思われます。
この曲はリアムのソロクレジットということで、ソングライターとしての円熟度合いが伺えますね。
また、ゆったりしたツービートにこのクリシェ、深いリバーブのシンセが加わり、そこにスライドギターが入ってくる感じはジョージ・ハリスンも想起させますね。当然、大いに影響を受けているのでしょう。

メロディの良さも個人的にはアルバム随一だと思います。一聴して「バーン!すげえ!!」って感じではなかったのですが、何度も聴いてみるとじっくり良さがしみてくるタイプの曲ではないでしょうか。
Cメロのコーラスがすごく好きです。
誰に向けた曲なのかは分かりませんが、「俺も歳をとった」といいながら不思議と悲壮感はなく、気取らずに前を向くような姿勢がうかがえます。

 

12.I've All I Need
ボーナストラックを除けば、これがアルバムラスト曲にあたります。それもあってか、心なしか感謝の言葉が込められた優しい感じの曲です。ずっと1つのコードが鳴っているところにアルペジオとメロディが乗っかってくる感じがなんとも心地よいです。
Tomorrow Never KnowsやAll Things Must Passという言葉は、またまたビートルズおよびジョージ・ハリスンの曲名からの引用ですね。
いや、ビートルズ好きすぎでは…。
完全に憶測ですが、今回ソロ名義でリアムが初めて作詞作曲を自ら主体で担当してアルバムを作るにあたり、参考にしたのがやはり自身のルーツのビートルズとその後の各メンバーのソロ活動だったのではないかと思います。
それこそ特に、ジョージハリスンのソロアルバムであるAll Things Must Passの影響が色濃いような印象です。12曲目にそのタイトルを織り込んでくるのはネタばらしか、それともクレジットのような意味合いなのか。
…というのは考えすぎでしょうか。。


はい。

一曲ずつ見ていってもマジで粒揃いな印象で、とても楽しんで聴いています。

しかし、リアムがソロでこれだけ良いアルバムが作れることが証明されたいま、オアシスを再結成する可能性がさらに遠のいてしまったような気もします。
つまり、ギャラガー兄弟がそれぞれ一人一人でも十二分にやれる事が分かった以上、わざわざ過去のわだかまりに踏み込んでオアシスを復活させようとはしないんじゃないかと。
オアシスを観たことがない身としては、それはそれで複雑な気分ではあります。しかし、今はそれぞれのソロ作品が今後どうなっていくのか、またライブはどんなものになるのか、そのあたりをもう少し見てみたいという気持ちもありますね。

何より今月は兄貴の新作が控えています。
そちらもそちらで凄まじいことになっていらはようなので、とても楽しみですね。

今回もまたメッチャ長くなってしまいましたが、ここまで読んで下さりありがとうございました。

ロックンロールバンドの脱ロック化?

 

お久しぶりです。

随分間が空いてしまいました。
ちょっと色々やっつけなきゃいけないことが積み重なりまして、実に一ヶ月以上ぶりの投稿となります。

ロッケンローサミットに行ったり、リアム・ギャラガーの新作アルバムがとにかく最高だったり、とてもいいビートルズ考察本を手に入れたりと書きたいことはいくつかたまっているのですが、今回は久々にということもあり、このところずっと考えていることについてまとめてみたいと思います。それは、
「ロックンロールバンドの脱ロック化」
ということです。
今までずーっとロックンロールをやっていた人達が、ここ最近になって急に揃って違う音楽を基軸に動き出している、ような気がするのです。

たとえば、今年の初めにドレスコーズが平凡というアルバムを出しております。

これがもう、ゴリゴリのファンクアルバムだったんですね。
ドレスコーズは、アルバムによってテーマは異なるもののなんだかんだずっとロックンロール、パンク中心の曲を出し続けていたように思います。それが、ここにきて全然違う方向のアルバムが出てきたわけです。もっともこの平凡に関しては、ロックンロールかファンクかというところ以前になかなかブッ飛んだ思想が詰め込まれていて、バンド自体を根っこから作り変えたみたいなもののようなのですが・・・。

このアルバムが出ただけでも今年前半かなり驚いたのですが、なんだかそれ以降も時折、ロックンロールを求めていたら全く他のものに突き当たることが多くなったような気がするのです。

例えば、OKAMOTO'Sです。オカモトズといえば、若手ながらブラックミュージックに傾倒したサウンドが特色のバンドです。じつは僕はあまりじっくり聴きこんでないんですが、今回出た新しいアルバムのリード曲がこのNO MORE MUSICです。

はい。これも今までと随分雰囲気の違う曲になっているようです。
元々オカモトズは幅広く色々やるバンドではあるようですが、泥臭いロックンロールからは一歩離れた所から出来てきた印象です。
どこか音楽業界を憂うような歌詞でもあり、時代の流れを感じてこういう変化に至ったのかな…と思われます。

また、今年のロッケンローサミットでも脱ロックの風潮を感じました。
ロッケンローサミットが脱ロックしたらもうそれロッケンローサミットじゃないじゃん、と思うのですが、そうなのです。
そりゃあ50回転ズはいつも通り最高でしたし、後半のニートビーツ、マックショウ、そしてギターウルフの大暴れによるヒートアップはいつ見ても圧巻でした。
そこは不動としても、おやっと思ったこととして、なんとスカバンドが2つもあったんですね。Bloodest SaxophoneとMORE THE MANというバンドです。Bloodest Saxophoneは港町の船乗りのような出で立ちの渋いジャズバンドで、MORE THE MANはスカパラの元メンバーが若手を集めて作ったという、明るく熱気のあるバンドでした。どちらも演奏すごく良かったです。
ロッケンローサミットには僕はまだ行き始めて数年ですが、こういうロックンロール主体ではないバンドがいくつも出てきたのは近年珍しいことなんじゃないかと思います。
少し前は、終われど終われど革ジャンリーゼントばかり舞台に出てくるようなフェスだったと思うのですが・・・。
今年もすごく楽しかったので寂しいとかはないですが、時代の変化の兆しがここにも見えているような気がしました。


話は前後しますが、このドレスコーズ(というか、志磨さん)とオカモトズの対談が、ちょうどまさにこの脱ロックという話に触れています。
どちらのバンドもほぼ同じ時期にロック以外のジャンルに進んだアルバムを出したということで、そのあたりのことがテーマになっているようです。
これ面白いのが、たとえば流行りの音に近づけてみたとか、はたまたバンドが円熟してロック以外のジャンルに手を出し始めたとか、そういった今までのいわゆるよく聞くような「脱ロック」のフォーマットとは全く別の意図からのアプローチの結果だったらしいということです。
多分この人達はロックの熱量が好きで、ロックをやりたいのに、それをいざ表現にしてみると時代がそれをロックの形に留めさせてくれないという、なんだか難しいですがそのような事のようです。
それは音楽の定額無料配信化や、資本主義の限界が見えてきていることや、そういった様々な事が絡んでの結果なのでしょう。

言ってしまえば、今この時代にロックンロールイェーーイってやってても、それは60〜70年代にロックンロールをやる事とは、根本的にもう意味が違うと。だから、ロックンロールをやっていても仕方がない。
なんとなく、そういう話なのかなーと思います。

聴く側としてはApple Musicで色んな時代の音楽が好き放題聴けるようになったし、ライブ文化も栄えてきたし、楽しいなあってなもんですが、作り手としてはロックンロールってどんどん扱いが難しいものになってきているのかもしれません。

これからどうなってくんだろう・・・。

エルヴィス・プレスリー没後40年


こんばんは。
クロマニヨンズのツアー、プレオーダー外れました・・・。
何だろう、最近ほんと当たりにくくなりましたね。二次で当たることを祈ります。

先日テレビを見ていたら、今年はエルヴィス・プレスリー没後40周年だというニュースが流れてきました。
そうだったんですねー。

ロックンロール創成期、50年代のロックスターの一人ということで、チャックベリーと同世代ですね。チャックベリーが90歳で亡くなったことを踏まえるととても早逝だったように感じられます。
もちろんそれでも、バディ・ホリーエディ・コクランよりは随分長生きですけれど…。
ていうか、どちらかというとチャック・ベリーとリトル・リチャードがすごいですよね。

亡くなってしまったミュージシャンに関しては当然新作発表もライブツアーもないわけでして、だからこそこういう記念事をキッカケにして聴き直してみるというのが大切です。

さて。

まずエルヴィスのイメージは、大きく分けて2つに分けられると思います。力強くワイルドなロックンローラーというイメージと、甘い歌声のバラード歌手というイメージです。

まずは前者のほう、白人にしてブラックミュージックを基調としたロックンロールシンガーであるという面について見てみます。
ボリューム上げていきましょう。


はい。出世曲のハートブレイク・ホテル、これはブルースですね。サビがなく、16小節をひたすら繰り返す進行です。
エルヴィスに限らず、50年代〜60年代のロックを分かるには当時の時代背景を考える必要があるように思います。
今でこそロックは、白人でも黄色人種でも誰がやっていても違和感のない音楽です。しかしこの1950年代当時は、ブルースやロックンロールというのは完全に黒人が楽しむためのものであり、基本的に白人の聴く音楽ではなかった時代です。その中で、ハンサムな白人の出で立ちでありながら黒人のようなシャウトと腰振りダンスを武器としたエルヴィスは、非常にセンセーショナルな存在だったという事のようです。
また、黒人そのものだったかというとそういう訳でもなく、白人文化のカントリーのフィーリングもちゃんと混じっていて、だからこそ幅広い層に受け入れられたという話もあります。

そのあたりの所を踏まえて見ると、エルヴィスの凄さがだんだん分かってくるように思います。

当時の世の大人達の評価としては「あんなに叫び散らして、しかもクネクネといやらしく腰を振る奴が出てきた、けしからん!」という事だったようで、そこが逆に大人を嫌う若者達にウケたのだそうですね。
Hound Dogや監獄ロックあたりは、今聴いてもパワフルかつセクシーです。

ちなみに問題の腰振りがこちらになります。そんなに下品には見えないのですが、これでアウトだったというと当時はすごくテレビが厳しかったんですね…。
また、雄々しく男性的な面だけでないのがミソです。たとえばTeddy Bearなんていう曲もあって、これは「彼女のクマちゃんになりたい!」みたいな歌詞です。こんなちょっとカワイイ素振りも初期から見せています。意外とナイーブだったり、カワイイ路線で攻めてみたりもしてるんですね。
ヤンキーは実はフワフワしたものが好きだ、とはよくいいます。こういう一面があるからこそ、かえってやんちゃなイメージが際立つというものではないでしょうか。

続いて後者の甘い歌声の方です。

軍役後の60年代に本格的にこの路線になったという話ですが、50年代の曲にも甘〜いラブソングがあります。
Love Me Tenderなんか、監獄ロックとは別人かと思うほど繊細な歌い方ですね。激しい曲での腰振りとはまた違った意味で色気があります。
ロックンロールというと、どうしてもバーン!ドカーン!!みたいなものを想像してしまいますが、 実はこういう元祖といわれるような人でも色々な顔を持っていたような、懐の深いジャンルなんだなと改めて思わされます。考えてみればストーンズRuby Tuesdayがヒットしていたりするので、良いバラードを持っているというのはロックスターをスターたらしめる一要素なのかもしれません。

いずれにしてもエルヴィスに関しては、ガラの悪い不良というイメージはあんまりなく、生き生きとした肉体性と色気、そういうエネルギーに溢れたミュージシャンという印象です。

それは悪とか反体制じゃないからロックっぽくないということではなくて、本来ロックンロールはそういう身体性こそが魅力なのだという事なんだと思います。

 

ゆがんだ唇エルビス、格好いいです。

ドレスコーズ「国家」が届いた

 

こんばんは。
8月も終わりです。朝夜がちょっと秋めいてきましたね。

f:id:yoshima_ryoichi:20170828214540j:image
先日、ドレスコーズの「国家」が届きました。これはドレスコーズの最新アルバム「平凡」の発表にあわせて行われたmemeツアーのファイナル、新木場Studio Coastでのライブの様子を収めたブルーレイになります。

 

この「平凡」というアルバムについては以前にも書きましたが、非常に衝撃的なアルバムでした。これは所謂コンセプトアルバムで、「個性が否定され、普通であること、平凡であることこそが美徳とされるようになった近未来社会で発表された作品」という形をとっています。そのコンセプトもさながら、これまでのドレスコーズと全く異なりファンクを主軸にした独特な曲から構成されており、思想的にも音楽的にも異色の作品に仕上がっています。
要は、今までずっと長い髪で派手な衣装で古き良きロックンロールをやり続けていた人が、突然「個性なんていらない!平凡最高!!」と灰色のスーツを身にまとってファンクをやり始めたということで…。
最初は「ど…どうした!?」という感じでしたが、実はこれは現代社会への違和感と新たな時代の到来の予感から、ロックカルチャーひいてはサブカルチャー全体への問題提起のために作り出された、非常に示唆に富んだアルバムであるということが徐々に明らかにされました。

今回の「国家」はその平凡さんのライブビデオと、さらにアルバムの詳細な解説やインタビューなども収録されており、どういった思想のもとにこのアルバムが制作されたかということがよく分かる内容になっています。
ちなみに限定生産なのでもう手に入りません。

こんなに作り込まれてるのに、もったいない・・・。

よく分かるとはいいましたがそれは詳しく書いてあるという意味で、やはり内容自体はかなり難解です。なにしろレコーディングの話から音楽産業の変遷、ひいては資本主義や構造主義というところにまで話が及んでくるので、完全に理解しきるには勉強が必要そうでした。
ただ全体的な印象として、恐らくこれは「アーティストへの問題提起」なんだろうなと思います。これから近い未来に社会が大きく変わっていく中で、アーティストはどのような表現をしていくべきか?また既存のカルチャーをどんな風に受け継いでいけばいいのか?
ざっくりした言い方をしてしまえば、そういう問いのように思います。
ただカルチャーを娯楽として楽しむだけの立場で抱える悩みではなさそうです。
それはつまり、この平凡を土台にしてまた様々な作品が出てくることが期待されるってことで、これは今後また形を変えて出会う思想なのかもしれません。

 

音楽的な部分に関してですが、まず何より、シンプルに滅茶苦茶上手いです。
この新木場のライブは僕は観に行ったので、一度観たものを改めて観直すような格好になります。しかし、やっぱり落ち着いて聴いてみても非常に演奏はハイレベルです。リズム体がめっちゃ強い。規律/訓練の暴れっぷりとか、towaieの静寂な中でのグルーヴ感とか最高です。
そして志磨さんの「神経ダンス」、てんかんのような動きも斬新に映ります。これはロックンロールでよくある煽るための動きではないですね。ロックスターとは完全に別の身体を手に入れてきています。
それもあってか、激しいパフォーマンスで熱の入った演奏でありながら、どこか虚無感が漂うステージという印象になっています。これは改めて映像で観ても新しい感覚でした。
あげるとキリがないですが非常に見応えのある内容で、ほんと予約してでも押さえておいてよかったなあと思いました。

何よりこの「平凡」すべてが、20世紀のカルチャーへの決別でありながらそのカルチャーへの愛に満ち満ちていて、そこにすごく胸を打たれます。もうここにはいられないし、過去のものにしなくてはならない対象だけれども、すごく愛おしい。そういう切なさみたいなものが根っこにあるのが何とも味わい深いです。
そして、いわゆる古き良き文化が好きで仕方がない人達が、それでもこれから先の時代を見据えて、全く違う未知の方向に突き進んでいくというその様はすごく格好いいと思います。
というのも、たとえば僕なんかともすれば「60年代ロック最高!昔のロック最高!今の流行りは間違ってる!!」というイデオロギーに逃げ込んでしまいがちなところがどうしてもあります。しかし、 そんな懐古的な姿勢でいるよりも未来に向かう方がずっとカッコ良いじゃないかと。


「昔は良かった」と逃げ込まずに、今の時代を見てちゃんと行動に出ろ、悩め、と。


そう言われているような気がします。それは音楽に限らず、資本主義社会の先を生きなければならない世代全体にも通じることかもしれません。
これから折に触れて見返す作品になりそうです。

大事にとっておきたいと思います。


あとは、もう、一番の元ネタであるところのTalking Headsストップ・メイキング・センスも、近いうちに観なきゃいけないですね…。

他にも色んな本、映画、元になったアートのことが「国家」の中で沢山ネタバレされていたので、ここからでも相当掘ることができそうです。
忙しくなります。

サンボマスターが聴こえる、考える

 

こんばんは。

なんだか涼しくなりました。

赤いキセツだったのが、急に若者のすべてになってしまった感じです。

 

今回はサンボマスターについて考えてみましょう。好きなバンド再考察シリーズです。

 
はい。
サンボマスター、時代背景からいうとゼロ年代、青春パンクの終わり頃に出てきたバンドという位置づけになるかと思います。
むさ苦しい男3人(褒め言葉です)が激しいビートを土台に強烈ポジティブな歌詞を叫び倒す、そんなバンドです。有名曲はパンキッシュなものが多いですが、アルバムを通して聴くとロックンロールからソウルから歌謡まで実に様々な事をやっている人達だったりもします。
デビューから15年近く経ってもエネルギー量は増すばかりで、フェスでも大きなステージに立っているのをよく見ます。今度のツアーで武道館やるんですねー。
何度かライブハウスやフェスで見た事がありますが、何万人という数の人が笑顔でモッシュしてめっちゃくちゃになる感じは圧巻ですね。すごく幸せな空間を作ってくれます。
このバンドについて、


 

こちらです。サンボマスター嫌いだって言ってますねー。

先日ブルーハーツの記事でもあげさせてもらいましたが、山田玲司ヤングサンデーゼロ年代邦楽についての回です。この中で、サンボマスターは嫌いだー!!という話が出てくるわけです。
なぜサンボマスターが嫌いかというと、サンボマスターのロックに対する姿勢が気に入らないというんですね。
批判の切り口はこうです。
いわく、「駄目な僕を許してくれ」っていうその感じがロックンロールじゃない、と。
もっと格好つけるのがロックンロールだろと。
結果として格好悪くても、徹底的にカッコつけないといかんやろ、という意見のようです。

これに対して思うに、
サンボマスターは、別に「駄目な僕を許してくれ!受け入れてくれ!!」みたいな主張ではないと思うんですが・・・。



確かに、サンボマスターは応援ソングが多いです。あきらめるな頑張れ、キミは凄いやつなんだ、悲しみなんか何も生まないぞと。
このイメージが一番大きいと思います。



しかし、じゃあサンボマスターに自分達に自信がなさそうなイメージがあるかっていうと、それはまた別の話じゃないかなーと思うんですね。個人的にサンボマスターの歌詞には、卑屈さを感じることはあまりないです。俺は駄目だって方向からのアプローチはあんまり多くないような気がします。
むしろ、特に初期は格好つけたオシャレな曲こそ多い印象です。なんでここまで飾りっ気ないルックスでこんなオシャレな曲やってんだと感じるくらいです。
僕がサンボマスターの中で上から5曲に入るくらい好きな曲に、夜汽車でやってきたアイツという曲があります。

 

 

曲がっていうか、このライブの曲の入りがめっちゃ好きなんですけども。
男臭いアツいMCから入って、歌い出しの
「午前8時のため息は、冷えたコーヒーと共にあって…」
この静けさですよ。この、突然イタリア洋画の世界に連れていく感じ、格好いいじゃないですか。そこから段々ボルテージ上がっていく感じとかも最高です。
格好悪い格好良さどころか、むしろオシャレに振り切れています。これがカッコつけ(良い意味で)でなくて何だというのか。
サンボマスター、実はこういった曲がたくさんあります。週末ソウルなんかもいいですね。

 


そもそも代表曲の「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」も、コード進行を追ってみるとやたらとオシャレです。9thコード7thコードが目白押しです。

アニメやドラマのタイアップをとるのは大体「可能性」や「光のロック」のような前向きなメッセージ性の強い曲なので、それがプロのミュージシャンとしてのサンボマスターの主力商品なのでしょう。それはなにも売れるために本当にやりたいことと違う事をやってるというわけではなくて、本当にそういう性格を持ったバンドではあるだと思います。しかし、その一方ですごい大人向けなオシャレな曲もしっかり取り入れてきている一面もあるということです。要するにそれは、格好いいロックバンドの王道の売り方ではないでしょうか。
容姿を逆手にとった卑屈な姿勢で、搦め手を使っているわけでは全くないように思うのです。

じゃあどこに問題があるのかって、強いて言えば最初の売り出し方じゃないかなーと。

 

 

電車男のEDで使われましたよね。
この電車男ってドラマが、まさに「駄目な人が頑張る」話です。オタクで社会に馴染まない駄目な自分だけど、本当は勇気があって、支えてくれる仲間が(ネットに)いて、恋愛だってできたぞ!という話だったと思います。
当時のオタクへの風当たりの強さもあって、このドラマかなりセンセーショナルに感じた覚えがあります。
まあ、まだ小学生でしたけど・・・。

電車男自体はわりと楽しんで観ていた思い出があるのですが、ああいった「駄目な人が頑張る話」にサンボマスターを持ってきたことで、サンボマスター自身もそういうバンドだというイメージになっちゃったんじゃないかなーと、ここに僕は少しモヤモヤがあります。

 

 

このエンディング映像、見ての通り「秋葉原のプラットホームにオタクの群れとサンボマスターが突如現れ、歌う」というものです。
つまり完全にサンボマスターがオタクの一味みたいな扱いになっているんですね。作中に登場するオタク達の象徴として見えるように持ってこられているような感じです。

 


また、この時期ブサンボマスターという、芸人がサンボマスターの真似したバンドもテレビに出ていたように思います。これはもうホントに直球で、イケメンが嫌いだってブサイクが歌うみたいなアレです。俺はブサイクだけど愛してるんだーーー、みたいなアレですね。

こういった形はパブリックイメージとしてすごく分かりやすいとは思うんです。しかし、そうなると夜汽車みたいな曲が埋もれちゃうじゃん、ということがやっぱり悔やまれるわけで…。
そもそも、アルバム収録曲まで探して聴く時点でサンボマスターそこそこ好きなわけで、嫌いな人はそこまでしないと思います。それでテレビで流れてくる範囲のサンボマスターだけを見ていたら、冒頭に挙げたような批判も出てくるよなー…と思ってしまいます。

そして冒頭の動画に戻ると、好きなバンドが曲解されて批判されているのを見るのはもちろん悲しいですが「駄目な奴が、歌う!叫ぶ!それがロックだ!!」という風な解釈が出てくるとなんかモヤるなぁという点には、正直ちょっと同感でもあります。
ブルーハーツの話でも触れましたが、ブルーハーツサンボマスターも格好いいロックンロールをやっているから格好いいのであって、駄目なのにロックンロールをやっているから格好いいわけではないのでは…と思ってしまいます。このへん、言葉にするとややこしいですが。
いや、でもインタビュー見るにサンボマスター本人達はべつに気にしてなさそうだから、それはそれでいいのかな…。捉え方次第でしょうか。
何はともあれ最新アルバムもまた新しい事やっててとても良かったですし、武道館も楽しみです。うん。
行けるかなー。

ブルーハーツが聴こえる、考える

 

こんばんは。

ギャーーーーー!!

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はい。

2週間ほど前、ブルーハーツ(とマーシーソロ)のアルバムのアナログ盤の再販がありました。過去作のアルバムはほとんど全てリリースされています(欲を言えば、ライブ盤も出してほしかった・・・)。流石に全部買うわけにはいかず、悩みに悩んだ結果、特に思い入れの深いこの三枚を手に入れました。

1stの「THE BLUE HEARTS」と後期の名盤「STICK OUT」、そしてマーシーのソロ作品である「夏のぬけがら」の三枚です。

早速聴いてみると、アナログだからなのか音圧が凄い!特にやや音が薄めだったファーストが迫力増していて驚きました。アナログ化といっしょにリマスターもされたのでしょうか?いずれにしろ買った甲斐があったというものです。

LP版の大きいサイズでこのジャケットが見られるのも嬉しいところですね。部屋に飾れます。

そしてSTICK OUT、実はこのアルバムと僕は同い年です。しかもこのアルバム収録の1000のバイオリンという曲、これこそ僕がブルーハーツを聴くきっかけになった曲です。約10年前、15歳の時にこの1000のバイオリンを聴いたことがきっかけで僕はブルーハーツを聴くようになり、やがてストーンズを知りチャックベリーを知りロックンロールを知るきっかけになったというわけです。ということで非常に思い入れのある一枚です。他の曲を見ても「すてごま」「俺は俺の死を死にたい」「月の爆撃機」など、佳曲の多いアルバムだと思います。

夏のぬけがらはブルーハーツのギタリスト、マーシーのソロアルバムです。ブルーハーツとは打って変わってアコースティックでゆったりとした曲の多いアルバムです。マーシーのノスタルジックな一面が前面に出たアルバムですね。個人的にマーシーは出身地が非常に近いこともあってか、歌われている情景が自然に入ってくるので味わいがいがあります。これも好きなアルバムの一つです。
聴き直して改めて、ブルーハーツは、ひいてはヒロトマーシーはやはりすごいなと思いました。
しかしその一方で、聴き続けて10年も経つとまた違った感想も出てくるというものです。
「すげーー!!」っていう最終的な感想自体は同じでも、じゃあ何がすごいのか言葉にしてみると、違った解釈が出てきます。
今回は、そこの所について考えてみたいと思います。
ひょっとしたらもう語り尽くされている事かもしれませんが、そこは若輩者ということでご容赦ください。ロッケンロー!!!

 

さしあたって、まず高校生の頃の自分の考えを思い出しながら整理してみたいと思います。

そもそも最初の最初、聴き始めの15歳の頃、僕はブルーハーツは「『上手くやれなくてもいいんだ!下手でもいいんだ!格好悪くてもいいんだ!!』と言ってくれる人達」だと思っていました。
当時の僕は、テレビで流れるキラッキラの前向きなアイドル曲に対して、ある種の取っ付きづらさやモヤモヤ感を感じていました。つまり「いいこと言ってるけど、この人達はアイドルだしファンも沢山いるよな」ということです。何だかんだ容姿に運に恵まれてるじゃないか、と。笑顔を振りまいて大きな声が出せて、それができるならそもそも悩んだりしてないわ、と思ってしまっていたわけです。
劣等感を引きずる遣る瀬無さが分かるのかと。
(今考えるとアイドルもアイドルで苦労があるに違いなくて、またアイドル曲というのはポップスに精通した音楽大好きな大人達の力の結晶であり、決してないがしろにはできないなと思いますが・・・。とにかく当時の考えです。)

それに対して、ブルーハーツはほんと滅茶苦茶やってますよね。テレビに出てもインタビューにまともに答えなかったり、目ん玉ひん剥いて、わざとかってくらい音程外したりして。
僕はこれを見て、ブルーハーツは「綺麗でいられなくても堂々と生きていていいんだ」という事を示してくれる人達なんだ、と感じたわけです。滅茶苦茶な動きで、荒削りな演奏で、飾らない剥き出しの姿を誇ることをその身をもって体現している人達なんだと、そういう風に見ていました。


彼らの「ダンスナンバー」という曲の歌詞にもあります、「格好悪くたっていいよ、そんな事問題じゃない」。まさにそういう人達なんだ…と。
それは内気で気弱だった当時の僕にとって、大きな光に感じられたものです。
白状すれば、世に出回るアイドルやポップスは安っぽい偽物で、ブルーハーツこそ本物の格好良さを持っているんだと、そんな風にさえ思っていました。

それから10年経ちました。

まだまだ知らないことだらけではありますが、色んなことも経験して、また当時よりはずっと様々な音楽を聴くようになりました。そうなって今改めて、ブルーハーツについてこう思います。

 

いや、違うなと。


ブルーハーツ普通にめっちゃ賢いわ、と。

 

そこの所がはっきり言語化できたのは、この番組を見たのがきっかけです。

 

山田玲司ヤングサンデードレスコーズの志磨遼平をゲストにゼロ年代の音楽について話している回です。この回の主題は「ゼロ年代のあの雰囲気はなんだったんだ?サンボマスターとは何だったんだ?」というようなことで、これはこれで非常に面白そうなテーマではありますが、今は置いておきます。
この中で、ブルーハーツに対してこんな風に言及されています。
いわく、「ブルーハーツはパンクの和訳」「パンクの精神性をアホに分かるまで噛み砕いたもの」だと。

つまり、ブルーハーツの何が凄かったかというと、ロックンロールを誰にでもわかる単純明快な形で打ち出した事だというんですね。ポジティブなメッセージソングを作ったからじゃないと。

当時ブルーハーツの歌が人を励まし、元気づける力になったのはおそらく事実で、そういった面も確かにあったんだと思います。
しかし、ブルーハーツの功績は心を打つメッセージソングを作ったこと自体ではなく、あくまで日本語でパンクロックをやって、より多くの人にパンクの精神性を示してみせたという事の方なんじゃないかというわけです。
あくまでキーはパンクロック、そしてロックンロール。
その事を念頭に置いて、改めてブルーハーツの曲について考えてみます。

ブルーハーツで一番有名なのって、やっぱり今でもリンダリンダなのでしょうか。意外と今日びCMやアニメで耳にするのは、1000のバイオリンの方が多いような気もします。


宮崎あおいのCMとかローリンガールズとか、ありましたね。

実はブルーハーツは曲の幅が広く、特に3rdアルバムなんかはルーツに立ち返ったのかブルースやレゲエや様々な影響が見て取れます。
しかし基本的にはやはり、シンプルなエイトビートとこれまたシンプルなメジャーコードが中心のギターに、日本の童謡のような平易な言葉とメロディが乗っている。これがやっぱりブルーハーツらしさだと思います。

このスタイル、ものっっっすごい賢いと思うんです、今考えると。

まず第一に、歌詞の言葉の分かりやすさです。ブルーハーツ(特に初期)の歌詞は、本当に分かりやすい。日常で使わない語彙はほとんど出てこないですよね。抽象的で哲学的な言葉は少なく、小学生でも分かるくらいの日本語で作られています。また、実は明らかな中傷や汚い言葉が目立たないのもポイントで、聴いていて耳触りが悪くならない。同時にこれは、口ずさみやすい曲だということでもあります。

次にメロディに注目しましょう。例えば情熱の薔薇のような一音が長めにとられたメロディは、日本語の音数によく合います。英語と日本語ってそもそも語音の捉え方が違ったりするので、英語詞のメロディにそのまま日本語を乗せてもアクセントが上手くいかなくて、言葉として伝わりづらかったりしますね。むしろ日本に昔からある童謡や歌謡曲の方が、日本語には合っているはずです。それを分かった上で、メロディはそっちに寄せてきているんじゃないかと思われます。

そして演奏のスタイルですね。
おそらく演奏面でブルーハーツの土台になっているのはラモーンズや初期のクラッシュで、ギターはジャカジャカとコードを弾くパートが大半で、ベースもドラムもあんまり動きませんよね。
そのように後ろの演奏が必要最小限にまとめられているからこそ、より言葉が耳に入りやすくなっているのではないかと思います。
たとえば極端な話、歌のバックでギターが延々とピロピロ早弾きしていたら、そっちが気になって歌の方が頭に入ってこなくなりますね(慣れるとそれもいいんですが…)。

まとめると、ブルーハーツの楽曲ではロック音楽という形態の中で一番多くの人に伝わりやすい要素である「言葉」の部分が、さらに最も伝わりやすいような形のメロディ、演奏に乗せられているということです。
考えるほど、実は万人向けのスタイルだったんじゃないかってわけですね。音楽を聴き慣れていない層でも抵抗なく聴ける。
これら一つ一つの要素に、必ずしも難しいことはないと思います。なにも突飛な音楽理論に基づいているわけでもなければ、難解な語彙や思想も必要としないわけですからね。ひょっとしたら、やろうとさえ思えば誰でもできたのかもしれないです。

しかしブルーハーツの本当に凄い所は、それらを組み合わせてロックンロールにしたら格好いいぞ、ということを発見して実際にやってのけたという、まさにその事実そのものではないでしょうか。

先程まで歌詞や演奏のことを長々書き並べてきましたが、結局こんなのはブルーハーツの存在を前提にした上での後付けの考えです。当時は、まさかパンクロックでそんなやり方があるとは本当に誰も考えなかったんじゃないかと思います。
そしてその発見こそが、一番ブルーハーツの鋭いところなのではないかと。

当時の状況を想像するに、まだ日本には日本語のパンクが浸透していなくて、極端に言えばパンク=セックスピストルズ、という認識の時代だったのではないかと思います。反体制、無政府主義者を標榜し、未来はないと吐き捨て、時には女王陛下さえコケにする。そういう姿勢こそがパンクだ!と。
もちろんラモーンズやレジロスのようにアナーキズムからはやや縁遠いパンクロックもあったにせよ、今ほど海の向こうの情報が多くない事も踏まえると、やはりインパクトからいってピストルズのイメージが強かったんじゃないかと思います。要は、毒づいてなんぼ暴れてなんぼ。

そう考えると、まさかそのパンクロックに前向きなメッセージと平易なメロディを乗せようなんて事は、そしてまさかそれが相性抜群だなんてことは、到底思いつきようがないんじゃないかと思うのです。

そもそも言葉を大事にして曲を作ろうと思ったら、ふつう出来上がるものはポップスになります。分かりやすくて取っ付きやすいメッセージを歌詞にしよう!などというのは、パンクとは真逆といってもいいくらいのアプローチです。

単純にピストルズアナーキー・イン・ザ・UKみたいなパンクをやろうと思ったら、アウトローで汚い言葉を並べまくった曲ばかりになるはずです。でもブルーハーツはそうじゃなかった。

人にやさしく、頑張れ、なんてワードをあえてパンクロックに突っ込んだ、という発想の凄さですよ。

そして何より最高なのが、恐らくそれがほんとうにロックンロールが好きだからこそたどり着いた境地だったんだろうなと思えるところです。
むかし何かのインタビューで、マーシーが「パンクロックは、当時の僕らにとってはロックンロールの最新型だった」と発言していたことがありました。

このへん妄想も入るんですが、おそらくヒロトマーシーは決して計算高かったからではなくて、ただロックンロールが好きで好きで仕方がなかっただけなんじゃないでしょうか。それで、どうにかしてそれを当時の日本で格好良くドカーンと見せつけることができないか?と考えに考えた結果、行き着いたのがあの形だったんじゃないでしょうか。
ライブ映像なんかを見ていると、なんとなくそんな気がします。

つまりブルーハーツは、演奏自体は荒削りなところもあったかもしれませんが、「ロックンロールを格好よく見せる」という事にかけては超一流のバンドだったんじゃないかと。

下手でも良い、格好悪くてもいい、というのはロックンロールをやるためのポーズであって、あくまでロックンロールとして最高だったというのがブルーハーツのすごさの本体なんじゃないか、と。

今はそう思います。

もしかしたら15歳の時の自分が心打たれたのは、駄目な自分を慰めてくれるような存在なんかではなくて、ブルーハーツがぶつけてきたロックンロールそのものだったのかも知れません。・・・などというのは妄想が過ぎるでしょうか。

 

まー何はともあれ、10年越しに見てもやはり格好いいですよ。ヒロトマーシーも河ちゃんも梶くんも。

 

いつにもまして長くなってしまいました。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。