路上のジャズとパンクロックと
ごぶさたしています。
秋ですね。今年こそはサンマ沢山食べたいです。
中上健次の「路上のジャズ」を最近読んでいます。ドレスコーズマガジンで勧められていたからなのですが、読んでみたらすごく面白かったです。
舞台は60年代日本、ジャズ喫茶にたむろする若者の話です。一部は作者の経験に基づいた実話なのだそうで、当時の空気感がリアルに伝わってきます。
ジャズ喫茶にたむろする、なんて書くと小洒落れた大人が思い浮かびますが、ここで描かれているのはむしろ正反対の、クスリ、酒、暴力にまみれた荒れに荒れた生活です。社会から弾かれたアウトローな若者達の聴く音楽として、モダンジャズが登場するわけです。
フーテン暮らしで働きもせず、仲間とつるんでトイレの水に溶いた薬を注射器に吸って打っているような奴らが、コルトレーンは素晴らしいって話をしてるんですね。
カフェ ジャズ で検索したら出てきました。
現代で暮らしているとジャズは「お洒落なもの」というイメージで、小綺麗なカフェなんかでかかってる事が多いと思います。しかしそれは時代の流れでそうなっていっただけであって、本来は人間の生々しさが剥き出しになったヤバい音楽なんだということが分かります。
そこで、これ実はパンクロックに近いものなのではないでしょうか。
この「路上のジャズ」の時代のジャズがどんなものだったかというと、ちょうど既成概念が塗り替えられる過渡期にあったようです。ざっっくり言うと元々40年代ごろにはビッグバンドでスウィングするための「ダンスミュージック」であったのが、60年代になったあたりでフリージャズという形でコードやメロディが複雑化し、より内省的で文学的なものに発展していったそうです(間違っていたらごめんなさい)。つまり元々あったものをぶっ壊そうとして作り出された音楽なんですね。
酒やドラッグや暴力と共にあって、既成概念をぶっ壊す音楽。
それはもうパンクだろ、と。
「白い暴動がパンクロックで、黒い暴動がジャズなんじゃねーの!?ヒャー!!」
とぼくの中のパンクスが申しております。許してやってください。
パンクロックは圧倒的にシンプルで、フリージャズは無限に難解なものなのに、根っこにあるものは実は同じかもしれないというのはなんとも奇異なハナシです。しかし、時代背景を考えてみると、パンクロックは当時どんどん複雑化、技巧化していたハードロック界隈への反抗であって、フリージャズはコードや拍の縛りの強かったハードバップへの反抗であったということで、要はどっちも跳ねっ返り野郎だと考えればなんとなく納得な気もします。
個人的には、パンクロックがアッパーに他者へ強く訴えかけるものであるのに対して、フリージャズはダウナーで自己破壊的な印象です。表現方法が異なるだけで、そこに込められる熱には通じるところがあるのかも知れません。
だとするなら、パンクロックに痺れる感性を持ってれば、ジャズ方面にも心打たれる出会いがあるかもしれないということになります。
いずれにしてもこの本に出会ってジャズへの見方が変わったといいますか、一度じっくり聴き込んでみようと思いました。
今のところアルバートアイラーがぶっ飛んでいて好きです。かっけえ。