コンテンツ過剰時代とギタアルアレイ「四畳半の冒険」
こんにちは。
真夏のピークが去ったのでしょうか。
この度、僕が今年から始めた架空のロックバンド、ギタアルアレイの新曲をアップしました。
実は4月から毎月1曲のペースで出し続けてはいるのですが、今回出したこの曲こそ、このバンドの核にあたる曲です。大事。
誰も聴いてねーけど。
というのも、「俺はこんな風にロックカルチャーを楽しんでいってやるぜ!」という意思表示にあたる曲なのです。
昨今は情報過多の時代、コンテンツ過剰の時代と言われます。
IT革命、インターネットの普及とともに、映画や小説、漫画、そして音楽がいつでもどこでも楽しめるようになりました。
音楽に関していえば、ここ数年では特に音楽聴き放題サービスというものが始まり、月1000円そこらで数千万曲がいつでもいくらでも聴けるようになりました。
恐らくちょっとでも音楽好きの家の子供なら、お父さんやお母さんが登録した聴き放題サービスによって、音楽は「いくらでも聴けて当たり前」なものに、すでになっているのでしょう。
月のお小遣いをはたいてようやくアルバムを1枚買って、それを大事に大事に何度も聴くという時代はもう遠い過去のものになりました。
素晴らしい事だと思います。
とってもいい時代になったと思います。
でも、いかんせん、何をどこから聴いていいのか分からない。コンテンツが多過ぎる。
これが、新しい世代特有の悩みだと思います。
たとえば今の50~60代、ロックミュージックの発展とともに育ってきた世代は、ビートルズがいて、ハードロックが出てきて、プログレが出てきて、それがパンクでぶっ壊れて…、という盛衰の歴史を体で経験しています。
だからこそ、思い出とともに音楽を一本の文脈として感じ取ることができる。
のだと、思います。多分。僕は90年代の生まれなので…。
しかしながら今は、その文脈がとても拾いづらい。ロックカルチャーも随分と成熟し、安直に「ロック 名盤」で検索したものを聴こうとしても、あるいは雑誌の特集を調べてみても、もう何百枚という量になってしまう。
「ロック好きならこれを聴け!!」なんてことが言えないくらいに、もう既にロックミュージックは滅茶苦茶に多様化し、膨大なコンテンツになってしまっている。
しかも幸か不幸か今は、その全てにその場で一瞬でアクセスできてしまう。
部屋がレコードだらけの音楽通でなくても、昨日ロックに出会った普通の中学生でも。
それこそ砂漠の中で砂金を探すようなものです。
そういった状況で考えたいのは、「じゃあ、ぼくはどんな風にロックンロールと向き合って行ったらいいんだ?」という事です。
そこで悩み抜いて考えたのが、
「ロックンロールは宇宙だ」
という捉え方です。
マジです。
要は、人間ひとりが認識しきれる情報量をとうに超えた概念という意味で、これは宇宙と呼んでいいんじゃないかと。
そしてストリーミング配信の普及で、僕らはその宇宙を好き放題飛び回ることができるようになった。
それなら、やるべきことは宇宙旅行でしょう。
一つ一つのバンド、あるいは一枚一枚のアルバムが惑星のようなものであって、それぞれに広大な世界があり、歴史があり、エピソードがある。
現代において音楽を聴くとは、そんな星達を駆け回るようなロマンのある行いなのではないかと。
好きな音楽を探すなんていうのは銀河の中で好きな星一つを探すような途方もないことではあるけども、それ自体とてもロマンチックで素敵な事じゃないか、と。
そう考えて、時間をかけて楽しんでいったらよいのではないでしょうか。
そして願わくば、自分自身もそのような星の1つであれるように。
ギタアルアレイはそんなバンドです。
聴いてもらえるだけで幸いです。よろしくお願い致します。